阪神大震災

<阪神大震災30年>佐賀県、手探りの迅速支援 当時の兵庫知事は武雄市出身 発生2日後に救援物資、職員ら現地で奮闘有料鍵

1995年の阪神大震災で、佐賀県は発生直後から被災地支援に向けて動き出した。当時の兵庫県知事だった貝原俊民さん(故人)が武雄市出身だった縁もあり、復興の願いを込めて多くの人が物資を提供するなど支援の輪も広がった。

<阪神大震災30年>佐賀県警機動隊も被災地へ 防犯巡回や交通整理担う「緊張感持ち続ける」決意新た有料鍵

阪神大震災の被災地には佐賀県警の機動隊員らも派遣され、神戸市内で防犯巡回や緊急交通路の確保に当たった。部隊は地震発生から約10日後に現地入りし、余震の続く中での警察活動だった。

<阪神大震災30年>犠牲者供養、宗派超え 寺院関係者、2週間後に神戸入り 佐賀県内支援者の記憶有料鍵

6434人の命が失われた阪神大震災。1995年1月17日の発生から2週間後、佐賀県内の寺院関係の有志6人がボランティアで神戸市の被災地に入った。他の仏教団体とともに読経し、宗派を超えて犠牲者を供養した。

<阪神大震災30年>柔道整復師の隈本圭吾さん(吉野ヶ里)、被災救護活動の原点 佐賀県内支援者の記憶有料鍵

阪神大震災の被災地で活動した吉野ヶ里町の整骨院院長の隈本圭吾さん(66)。被災者の治療にあたった経験から災害への備えを模索してきた。

オリーブの木

その病院のそばには、オリーブが植えられていた。30年前のきょう起きた阪神大震災は、建物の倒壊だけでなく火災も相次ぎ、多くの命が奪われた。

阪神大震災から30年 ボランティア文化生かそう

最大震度7を観測し、6434人が亡くなった阪神大震災から、今月17日で30年になる。手探りの中で復興した神戸に学ぶものは多い。

<備え―防災さが>地域の防災力 日頃から顔の見える関係を

阪神大震災以降、「地域の防災力」が注目された。

<多久島先生のNIEワークシート>デマ、中傷多発有料鍵

週刊ぺーぱくん 2月23日 第400号
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<多久島先生のNIEワークシート>阪神大震災から25年有料鍵

週刊ぺーぱくん 2月9日 第398号
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<阪神大震災25年>「支援とは、ともに歩くこと」 佐賀市の嶋津さん、ボランティア経験語り継ぐ

支えるとは、ともに歩くこと-。阪神淡路大震災発生後、ボランティアとして被災地で活動した佐賀市の嶋津眞由美さん(61)は、被災者とのふれ合いの中で「ボランティアの心構えを教えられた」と振り返る。あれから25年。
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