石棺墓
吉野ケ里遺跡・石棺墓の謎探る 2月23日、佐賀市の県立美術館ホールでシンポジウム
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側の謎のエリアで見つかった石棺墓(せっかんぼ)に関するシンポジウム「石棺墓のナゾに迫る」が23日、佐賀市の県立美術館ホールで開かれる。
佐賀・吉野ケ里遺跡の石棺墓、「人埋葬」が濃厚に 北エリアに弥生前期の環壕 佐賀県
日本史この1年・県内編
2024年は、奈良市の平城京跡で「大嘗」と記された木簡が初出土。天皇の代替わりの儀式「大嘗祭」を解明する手掛かりとなるかもしれない。
吉野ケ里遺跡・石ぶたの線刻、「天文図説」歴史から探る 研究者らシンポ 「中国・魏王朝成立の予兆」記録か
吉野ケ里遺跡(神埼市郡)で発掘された石棺墓(せっかんぼ)の石ぶたに施された線刻に関するシンポジウムが14、15の両日、吉野ケ里歴史公園で開かれた。
<吉野ケ里遺跡石棺墓>棺内に人埋葬の可能性 土壌分析で判明 顔料に水銀朱、産地分析へ
「謎のエリア」調査は9月にも再開
佐賀県は5日、国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側の「謎のエリア」で見つかった石棺墓(せっかんぼ)の調査結果を公表し、石棺内外の土壌分析などで人が埋葬された可能性が高いことが確認された。
【動画】吉野ケ里遺跡「謎のエリア」の石棺墓、最後の公開 考古学ファンら、くぎ付け 5月6日まで
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」で見つかった「石棺墓(せっかんぼ)」の特別公開が3日、始まった。石棺墓は保存のため今後埋め戻される。
<吉野ケ里散策>新緑の季節 石棺墓や発掘調査公開
新緑のまぶしい季節です。生き生きとした生命が感じられます。年の始まりは1月1日ですが、12月も1月も寒く、木々は暗い色をしています。しかし、4月から5月にかけて木々は鮮やかな色になります。
「謎のエリア」で発見された石棺墓、5月3~6日に最後の公開 吉野ケ里遺跡
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」の発掘調査で見つかった「石棺墓(せっかんぼ)」が、大型連休中の3~6日に特別公開される。
吉野ケ里歴史公園、来園者72万人 23年度 最多時の9割超回復 発掘調査、石棺墓発見が追い風
吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)の2023年度の来園者数は72万2759人で、前年度から3万6871人増加した。
<記者が見た市町この一年>(12)吉野ヶ里町 「謎のエリア」で石棺墓発見
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側の「謎のエリア」で4月、弥生後期~終末期の石棺墓(せっかんぼ)が発見された。人骨や副葬品は見つからなかったが、発掘調査は全国の考古学ファンから注目を集めた。
吉野ケ里遺跡「謎のエリア」発掘再開 石棺墓の周辺、重点調査
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側の「謎のエリア」の発掘調査が23日、再開された。
吉野ケ里遺跡の石棺墓、研究者注目! 弥生の埋葬、鍵握る赤色顔料 佐賀県、2023年度中に化学分析へ
佐賀県が23日に発掘調査を再開する国指定特別史跡「吉野ケ里遺跡」(神埼市郡)。6月に調査した弥生時代後期~終末期の石棺墓(せっかんぼ)の内部に塗られていた赤色顔料について、県は本年度中に化学分析を行う。
「石棺墓」効果、入園者数最多4万5550人 6月の吉野ケ里歴史公園、イベントが後押し
吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)の6月の入園者数が4万5550人となり、2001年4月の開園以来、過去最多となった。
<吉野ケ里散策>注目の石棺墓 深まる謎 線刻は星図か
今注目の石棺墓(せっかんぼ)に関し、さまざまな研究が進んでいるようです。来園者からも毎日石棺墓の質問があります。それはとてもうれしいことです。線刻の施された石蓋(ぶた)の材質は、有明海を渡った多良岳の玄武岩でした。
石ぶたの線刻「夏の夜空」か 吉野ケ里の謎、天文学で仮説 「×」の位置、当時の星の位置と一致
古代遺跡の謎を天文学で科学的に解き明かす「天文考古学」という新しいアプローチで、国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)で出土した石棺墓(せっかんぼ)の石ぶたに刻まれた「×」などの記号を解析する試みが行われている。
<ニュースのヒント>「謎のエリア」の石棺墓調査 吉野ケ里遺跡
吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)(神埼(かんざき)市郡)で、4月に見つかった古代の石棺墓(せっかんぼ)(石でつくられた墓)をあける調査(ちょうさ)が行われました。
吉野ケ里遺跡の石棺墓調査 弥生ロマン 知的好奇心刺激
じっくり日曜
弥生のロマン、再び-。 弥生時代後期~終末期(2世紀後半~3世紀中頃)の有力者の石棺墓(せっかんぼ)が新たに出土した吉野ケ里遺跡(国指定特別史跡、神埼市郡)。
<石棺墓調査>邪馬台国論争って何?
吉野ケ里遺跡 畿内説 奈良・箸墓古墳「卑弥呼の墓」/九州説 環壕集落、魏志倭人伝に記述
中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の所在地を巡り、九州か畿内かという論争は江戸時代から続いてきた。
<石棺墓調査>記者の目・宝探しではない
吉野ケ里遺跡
連日のように書いた吉野ケ里遺跡の発掘調査の記事がインターネットで発信される中、ある書き込みが目にとまった。「宝探しじゃないか」「墓を荒らしていいのか」-。的外れな指摘だ。
<石棺墓調査>「謎のエリア」発掘に熱視線 県のリアルタイム発信も奏功
吉野ケ里遺跡
「邪馬台国時代のクニ」と報じられて34年。その時代の有力者の墓が全く見つかっていないのは、吉野ケ里遺跡の大きな謎だった。 今回調査したのは、これまで日吉神社があって発掘できなかった「謎のエリア」4千平方メートル。
吉野ケ里石棺墓の石ぶたは多良岳産の玄武岩 鑑定で判明 40キロの距離を舟で運搬か
国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側の「謎のエリア」で出土した石棺墓(せっかんぼ)の石ぶたに関して、佐賀県は6日、多良岳産のカンラン石玄武岩だったと明らかにした。
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