戦争
<戦後80年さが つなぐ>国民学校で防空壕づくり 戸上輝雄さん(92)=佐賀市
ことし8月の終戦から80年に向けて、佐賀県内の戦争体験者らの証言をまとめた聞き書き企画「つなぐ戦後80年さが」。
<戦後80年さが つなぐ>徴兵で死を覚悟した父 青木昭生さん(93)=神埼出身
ことし8月の終戦から80年に向けて、佐賀県内の戦争体験者らの証言をまとめた聞き書き企画「つなぐ戦後80年さが」。
記者日記 残らない歴史
5日付から始まった戦争体験者らへの聞き書き企画「つなぐ 戦後80年さが」。1945(昭和20)年に学徒動員として佐賀市の紡績工場で働いた白濱スエノさん(95)を取材した。
<戦後80年さが つなぐ>学徒動員で佐賀市の紡績工場で働く 過酷な労働、秘密裏に 白濱スエノさん(95)=佐賀市
ことし8月の終戦から80年に向けて、佐賀県内の戦争体験者らの証言をまとめた聞き書き企画「つなぐ戦後80年さが」。
<戦後80年さが>佐賀空襲の惨状、知ってほしい 証言収集の小栁さん、諸富北小で「授業」
1945(昭和20)年8月の佐賀空襲の証言を住民や遺族から集めている佐賀市諸富町の小栁春良さん(79)が4日、諸富北小の3年生約30人に空襲の被害について話した。
<戦後80年>平和の願い祖母から孫へ 広島で被爆の実態伝える川崎花笑さん(21)=鹿島高校出身= 「原爆は世界から色を奪う」
昨年12月下旬、広島市の平和記念公園。写真資料を手に、被爆の実態を伝えるガイドの練習をする若者たちがいた。「ここには街があり、暮らしがあった」「原爆は世界から色を奪ってしまった」。
<戦後80年>「戦争の記憶、語り続ける」 長崎で被爆・川﨑美智子さん(80) 白石町
長崎で被爆した佐賀県白石町の川﨑美智子さん(80)も、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことに胸が熱くなった。「本当にうれしく感じた。原爆の惨状がこれからも忘れられず、核廃絶へとつながりますように」。
記者日記 時間はまだある
もうすぐNHK紅白歌合戦の出場歌手が発表されるが、家族が一つのテレビで見ていた昭和の頃、常連の顔ぶれに三波春夫さんがいた。
先人の尊い犠牲、忘れてはならない 佐賀県遺族会研修大会 「平和の語り部」講演も
<まちの話題>
佐賀県遺族会の研修大会がこのほど、佐賀市で開催され、伊万里市遺族会からは青年部を含む30人ほどが参加しました。 終戦80年の節目を来年に控え、遺族会の中心となる戦没者遺児たちの高齢化が進んでいます。
<佐賀県議会一般質問>県主催の戦没者追悼式、2025年開催へ 戦後80年で予定を10年前倒し 山口祥義知事「高齢化深く受け止め」
9月定例県議会は20日、一般質問3日目の質疑を行った。戦後80年を迎える2025年の戦没者追悼式について、山口祥義知事は「県遺族会の皆さんとも相談しながら具体的に検討を進めたい」とし、県が主催する考えを示した。
<戦後79年さが>「ミシンが紡いだ出会い」に縁、被爆地で作品展 終戦後の引き揚げ、体験共感 玄海町の藤井節さん
終戦後、5歳で朝鮮半島から引き揚げた記憶を、母親が唯一持ち帰ったミシンを題材に油彩画で伝えてきた玄海町の藤井節(みさお)さん(84)が17日から、広島市で展示会を開く。
「戦争の惨禍繰り返さない」 シベリア抑留者の慰霊祭、佐賀県内で初開催
アジア・太平洋戦争の終結後に旧ソ連などで強制労働をさせられたシベリア抑留者の慰霊祭が14日、佐賀市で開かれた。遺族らが過酷な環境で亡くなった犠牲者を追悼し、歴史の継承に努めて戦争による惨禍を繰り返さないと誓った。
シベリア抑留者の慰霊祭、9月14日に佐賀市で開催 「佐賀は補償要求運動発祥の地」 全国強制抑留者協会
<戦後79年さが>
アジア・太平洋戦争の終結後に旧ソ連などで強制労働をさせられたシベリア抑留者の慰霊祭が14日、佐賀市で開かれる。
<戦後79年さが>戦争体験、長く語り継ぐために 佐賀県遺族会、佐賀市で語り部事業の研修大会
佐賀県遺族会は7日、来年の戦後80年に向けて取り組んでいる語り部事業についての研修大会を開いた。県内の会員ら約200人が参加し、戦争体験を長く語り継ぐために必要なことを確認し合った。
戦争のない世界へ願い込め 小城市で平和コンサート 8月25日
核兵器廃絶と戦争のない世界への願いを込めた「平和コンサート」が25日午後2時から、小城市小城町の小城保健福祉センター桜楽館で開かれる。
<戦後79年さが>国スポの地の「戦争と平和」 「ここでも戦争があったと子どもたちに知ってほしい」継承願う地元住民
じっくり日曜
この秋、「SAGA2024 国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会」の主会場となる佐賀市日の出地区は、かつて陸軍施設が集中し、戦後は連合国総司令部(GHQ)の地方施設、旧満州などからの引き揚げ者の共同住宅となった…
<戦後79年さが>次世代に伝える 個への想像力、平和願う心に 交流証言、記者できること自問
思いをつなぐ~戦後79年目の遺族会(5)
長崎原爆忌の9日、唐津市の堀田雄二さん(62)は、佐世保市の高校で平和学習の講師を務めた。「背中全面に約50カ所、ガラスが突き刺さりました」「地獄というものがあるなら、ここだと思いました」。
<戦後79年目さが>地域の慰霊碑 後の世代を信じて残す 県内326基、維持管理に苦労
思いをつなぐ~戦後79年目の遺族会(4)
伊万里市黒川町の深山地区。山あいの集落にアジア・太平洋戦争で戦死した27人の慰霊碑があり、4日に慰霊祭が開かれた。市遺族連合会会長の吉永勝重さん(82)があいさつで言った。
<戦後79年さが>後世に残す 語らなかった人の分まで 引き揚げの記憶、知ってほしい
思いをつなぐ~戦後79年目の遺族会(3)
弟のため、1本でも多くと薪(まき)を拾い集めた。兄が付けたマッチの火は炎となって棺(ひつぎ)を燃やし、そこから「姉ちゃん」と呼ぶ声が聞こえるようだった。 7月23日、佐賀市の佐賀清和中で開かれた平和集会。
看護学生「平和の灯」徒歩でつなぐ 北九州市小倉から長崎市まで 福岡、佐賀、長崎の10校が参加
長崎原爆で当初の投下目標だったとされる小倉(北九州市)から長崎市まで、広島原爆の残り火から採火した「平和の灯」を看護学生らがリレーしている。県内の学生も11日から参加し、平和を願いながら歩を進めた。 活動は4年目。
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