太平洋戦争
<戦後80年さが>米大統領に手紙、硫黄島で戦死 市丸少将(唐津市出身)追悼
太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で日米両軍の死闘が終わって26日で80年が経過した。
<戦後80年>鹿島市から北海道へ 「援農隊」の記憶つなぐ碑 辻安雄さん(享年87)建立 20年管理の帯広市議、風化を危惧
太平洋戦争下に学徒動員「援農隊」として鹿島市から北海道十勝平野へ派遣された辻安雄さん(享年87)が2005年に同地に建立した記念碑を、約20年にわたって管理する帯広市議の佐々木勇一さん(82)が鹿島市を訪れた。
学徒出陣から80年
汐見夏衛(なつえ)さんの『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。
<この人キラリ>光安吉野さん(佐賀市) 戦死した父の足跡たどり、平和訴え
佐賀市の光安吉野さん(80)は、父が太平洋戦争で戦死した。父の顔を知らないまま成長し、「父親がいないという心の傷は、人生が終わるまで消えない」と話す。
1世紀続いた敬老会つなぐ絆 戦時中もコロナ下も休みなく 江北町西分地区
100回の節目、健康と長寿祝う
大正時代から始まり、戦時中も中断することなく続いてきた江北町西分地区の敬老会が100回目を迎えた。地域の春の伝統行事になっていて、節目の会は10日に町老人福祉センターで開かれた。
真珠湾攻撃80年 「軍神」利用に家族苦悩 廣尾さん(鳥栖市出身)遺族平和訴え
80年前の12月8日。太平洋戦争開戦の地、米国ハワイの真珠湾攻撃に参加した鳥栖市出身の廣尾彰さんは、8人の仲間とともに日米戦最初の戦死者となった。
太平洋戦争開戦80年 いかに記憶を引き継ぐか
まもなく12月8日、太平洋戦争の開戦から80年の節目を迎える。なぜ、あの無謀な戦争に日本は突き進んだのだろうか。
平和への誓い 新たに 鹿島高生が戦没者追悼
太平洋戦争の学徒動員先で空襲に遭って亡くなった女学生らを追悼する会が23日、鹿島市高津原の旭ケ丘公園で開かれた。
<まつらノート>証言がつなぐ
75年以上前の記憶をたどってもらいながら、言葉をじっと待った。太平洋戦争中に中国で女子軍属として働き、慰安婦の女性の病状を書き取る仕事をしていた吉冨節子さん(94)を取材した。
「青年団の父」生涯、漫画化 社会運動家・田澤義鋪 出身地鹿島市出版へ
小中高生のふるさと学習に活用
「青年団の父」と呼ばれる社会運動家、田澤義鋪(1885~1944年)の生涯をたどる子ども向け漫画の出版を、出身地の鹿島市が進めている。
戦時中の子ども描き伝える 紙芝居、北川副小(佐賀市)に寄贈
北川副まちづくり協議会 「平和教育に役立てて」
佐賀市の北川副まちづくり協議会(福田忠利会長)は26日、「戦中・終戦直後の子供たちのくらし~じいちゃん・ばあちゃんの子供のころ~」と題した紙芝居とDVDを北川副小に寄贈した。
【動画】学徒動員で犠牲、女学生らを追悼 鹿島高で27年ぶり
佐賀県鹿島市の鹿島高で24日、太平洋戦争の学徒動員先で亡くなった女学生らを追悼する会が開かれた。
<戦後75年さが 残したい戦争記憶遺産>旧日本軍の滑走路(小城市小城町)
戦争末期に造成、出撃なし
太平洋戦争末期、現在の小城市小城町畑田の国道203号に、旧日本軍の滑走路が造られた。郷土資料や住民の証言によると、終戦直後に練習機1機が飛来したが、戦闘機が出撃することは一度もなかった。
「戦争遺跡」調査、県内全市町「実施していない」 定義や調査基準なく「困難」
戦後75年の節目を迎え、太平洋戦争時の防空壕(ごう)、旧日本軍の関連施設など「戦争遺跡」に関して、保護のあり方が課題として浮上している。議論の前提として、状況把握の調査が必要だが、佐賀県内で実施している市町はない。
原爆投下「是」「非」議論
城北中でディベート授業
教育現場で新聞を活用するNIE(教育に新聞を)実践指定校の城北中(佐賀市、加藤吾郎校長)で18日、戦争について考えるディベートの授業があった。
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