博愛の里から

<博愛の里から>世界遺産登録10周年 佐賀藩 産業革命の揺籃期支え

今年7月、三重津海軍所跡を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されて10周年を迎えます。

<博愛の里から>青木繁「漁夫晩帰」 筑後川水運の発展背景に 

陸上輸送が発達する以前、水運は重要な輸送手段でした。諸富、若津といった河港を中心とした筑後川下流と早津江川流域では、明治以降に港湾機能に加えて、通信や金融機関が集まり発展をとげました。

<博愛の里から>伊王島の灯台 常民が整備 今も現役

明治3(1870)年、灯台関係の事務が工部省灯台掛に移され、翌年に灯台寮に昇格すると、初代灯台頭には佐野常民が就任します。

<博愛の里から>佐野常民の美術観 「栄進画帖」が手がかりに

1895(明治28)年、佐野常民が伯爵を授かったことを祝って、日本美術協会の主だった会員たちから「佐野伯爵栄進画帖」が贈られました。

<博愛の里から>柴田是真 常民うならせた芸術家

明治維新後の日本では、欧米諸国に追いつくための近代化と行き過ぎた西洋賛美の風潮の中で、従来の伝統美術は苦境に立たされていました。その中で佐野常民は伝統美術の再興を目指し、尽力します。

<博愛の里から>出土したロープ 洋式船特有の製作方法

三重津海軍所跡のドライドック跡から写真のようなロープが出土しました。端をループ状に回してつなぎ合わせ、表面に布を巻きタールが防腐剤として塗られています。

<博愛の里から>三重津の終わり 歴史つないだ商船学校

三重津海軍所は、1871(明治4)年の廃藩置県に伴い、佐賀藩の海軍組織が解体され、その役割を終えます。

<博愛の里から>香月経五郎の米国留学 日本のため 仲間と切磋琢磨

佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館で、30日までテーマ展「佐賀に殉じた壮士 香月経五郎(かつきけいごろう)」展を開催しています。香月は佐賀の乱(佐賀戦争)への参加で知られていますが、文部省による最初の国費留学生でした。

<博愛の里から>香月経五郎 江藤門下、夭折の逸材

明治初期に勃発した「佐賀の乱」(佐賀戦争)。今年は150年の節目に当たり、改めて注目が集まっています。この戦争に深く関わったのが、川副町早津江出身の香月経五郎です。

<博愛の里から>佐野常民と温泉 欧州で湯治、風景を詩に

佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館
1873(明治6)年のウィーン万博に参加した際、佐野常民は激務がたたって大病を患い、温泉での転地療養をします。ヨーロッパでは湯治は医師の指示に基づく伝統的な治療法の一つでした。

<博愛の里から>三重津海軍所はじまりの地 城下に近い「船屋」拡張

今回は、三重津海軍所がこの場所に設けられた理由を考えてみたいと思います。 1637(寛永14)年に起こった島原・天草一揆のあと、ポルトガル船の来航が禁止されました。

<博愛の里から>佐野常民の渡欧 赤松則良と友情育む

慶応3(1867)年、佐野常民は佐賀藩代表としてパリ万国博覧会に派遣されます。常民の渡欧には、オランダへの蒸気軍艦「日進」の発注という重要任務も含まれていました。

<博愛の里から>篤志看護婦人会 女性皇族らが赤十字社支援

佐野常民がその生涯をかけて築き上げた、日本赤十字社。それは常民の周辺のさまざまな階層の人々を巻き込みながら成長していったわけですが、その支援の中枢を担ったのが篤志看護婦人会です。

<博愛の里から>三重津海軍所跡のオランダ製陶器 無地でシンプル 軍艦の備品?

三重津海軍所跡の発掘調査ではオランダ製の陶器が出土しました。 無地の鉢のような器形で、器の裏に「PR11」刻印が入っていたことからオランダのペトルス・レグー窯のものであることがわかりました。

<博愛の里から>長崎海軍伝習と「バツテイラ」 オランダの小船、指導受け製造

長崎海軍伝習に参加していた佐野常民(栄寿左衛門)は、安政3(1856)年、三重津に集積されていた木材のうち、蒸気船建造用に適さないものを選んで長崎まで取り寄せて、海軍伝習稽古の一環として「バツテイラ」という小船を製…

<博愛の里から>大隈重信への書簡 失意の同胞に気遣い

佐野常民はその生涯のなかで、さまざまな人々との人脈を築き、書簡を交わしていますが、最も多くの書簡が残されている人物が大隈重信です。なかでも、明治14(1881)年10月16日付のものは特徴があります。

<博愛の里から>佐野常民の父たち 藩主の側近として仕え

今から200年前、佐野常民は文政5年12月28日(1823年2月8日)年の瀬の厳寒期、佐賀郡川副郷早津江津の地に佐賀藩士下村三郎左衛門充贇みつよしの五男として生まれ、鱗三郎と命名されます。

<博愛の里から>テーマ展「常民交遊録」 書簡から「等身大」垣間見え

現在、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館には、佐野常民へ出された書簡、逆に佐野常民から出された書簡が残されています。

<博愛の里から>船屋地区の和船の解体材 海軍所整備を知る手がかり

三重津海軍所跡船屋地区の発掘調査では、建物の柱の下から板材を検出しました。やわらかい地盤の上に建物を建てる際に不同沈下を防ぐ工夫と思われます。

<博愛の里から>日本赤十字社の血液事業70年 必要とする人に届け、つながる命

生誕から200年を迎えた、佐賀が誇る偉人の一人佐野常民。西南戦争の折、負傷者救護のため博愛社を組織し、日本赤十字社へと改称してからも博愛の心を胸に事業を拡大していきました。
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