きやぶ今昔物語
<きやぶ今昔物語>戦国武将・宗氏(3)肥前から筑後へ移った統家
千栗(ちりく)城(みやき町)を中心として活動していた宗氏ですが、天正年間(1573~1592)の前半頃に鑑盛から子の統家へと家督が譲られました。
<きやぶ今昔物語>きやまモール商店街オープン 地元商店が集団転入
1981年6月、基山町商工会に商業対策委員会が発足し、9月に県などによる建設本診断が実施された。
<きやぶ今昔物語>戦国武将・宗氏(2) 鑑盛、千栗城拠点に活動
前回紹介した宗本盛が天文16(1547)年に苔野(吉野ヶ里町)で戦死すると、その跡を継いだのは息子の鑑盛でした。
<きやぶ今昔物語>基山モール商店街 出店予定22人で組合発足
駅前台地開発工事の進捗に合わせて1975年6月、基山町商工会はモール付き商店街への入店希望者の予備調査を実施する。その結果、60人から希望の申し出があった。
<きやぶ今昔物語>戦国武将・宗氏(1) 少弐氏支えた重臣・本盛
今回から4回にわたって戦国時代の東肥前(佐賀県東部)で活躍した武将・宗氏をご紹介したいと思います。
<きやぶ今昔物語>分譲宅地造成 駅前台地開発に併せ実施
1975年3月公表の『第1次基山町総合計画』で、町は目指す将来像を「ゆとりのある生活都市の創造」としている。
<きやぶ今昔物語>千塔山⑦
弥生時代の環濠集落検出
「駅前台地を開発して中心商店街をつくる」という駅前台地(千塔山=せんどやま)の開発計画が1975年3月、『第1次基山町総合計画』で公表された。
<きやぶ今昔物語>若山砦と金屋氏
戦国期に活躍、少弐一門
鳥栖市の国史跡勝尾(かつのお)城筑紫氏(ちくしし)遺跡にある若山砦(わかやまとりで)は標高258メートルの尾根上に築かれた城跡で、曲輪(くるわ)や堀切、石積みなどの遺構が残っています。
<きやぶ今昔物語>武士たちの拠点・山浦城
中世の城館跡
鳥栖市の西部に位置する山浦町は、九千部山系の山々が北側に広がる地域です。800年ほど前の鎌倉時代から、武士たちが活躍した地域でもあります。
<きやぶ今昔物語>千塔山(5)商店街診断報告書公表
北西部に県立自然公園の山並みが広がる基山町には、高速道の鳥栖ジャンクション設置が計画され、新幹線博多駅の供用開始が近づくなど、快適な居住地域として、その将来が大きく期待されていた。
〈きやぶ今昔物語〉戦国時代の山城・鏡城 筑紫一族が後継争い
佐賀県鳥栖市牛原町の街並みの北側、標高191メートルの山頂に鏡(かがみ)城の跡があります。
〈きやぶ今昔物語〉千塔山(せんどやま)(4)
駅前台地開発構想
基山町は佐賀県の最東端に位置する。福岡県の筑紫野市、小郡市、それに佐賀県鳥栖市に囲まれ、近年は公共交通機関の発達により九州の中心都市、福岡市へも短時間での移動(博多駅までJR快速で25分)が可能になった。
〈きやぶ今昔〉千塔山(せんどやま)(3)
墓地・畑として使われてきた基山町の千塔山(せんどやま)台地は1926(昭和元)年ごろから、桜の植栽が始まり、40年代には「桜が丘公園」として町民の憩いの場となり、55(昭和30)年3月には公園内に町立基山保育園が開…
〈きやぶ今昔物語〉千塔山(せんどやま)(2)
基山町の千塔山を俯瞰すれば、山域は南北に長いひし形である。東端の若宮八幡神社とその周辺は、1960年代の駅前開発事業の区域に含まれなかったため、境内には梛、楠などの古木がたわわに生い茂り、往時の面影をとどめている。
きやぶ今昔物語 大興善寺 現世の浄土、大つつじ園
寺は荒れていたが総代も檀信徒も、住職を助けて自分たちの寺を良い寺にしなければならないという気持ちに満ちていた。
=きやぶ今昔物語= 勝尾城 国境の重要拠点
鳥栖市北西部に位置する勝尾城かつのおじょう跡は肥前の東端にあり、戦国時代は筑前や筑後を抑える重要な役割を担っていました。
=きやぶ今昔物語= 友清左馬太夫 戦国を駆けた武将の足跡
戦国時代の鳥栖地域で活躍した戦国武将の一人に友清左馬太夫(大夫)がいます。
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