きやぶ今昔物語
<きやぶ今昔物語>御手洗の滝 信仰の場から市民憩いの場へ
鳥栖市西部の立石町にある御手洗(おちょうず)の滝は市民に憩いの場として親しまれており、南麓にある駐車場から進んで行くと、まず高さ8メートル、幅6メートルの二の滝があり、さらに奥へと進むと高さ22メートル、幅6メート…
<きやぶ今昔物語>更生保護会 施設設置構想実現のため創立へ
鳥栖地区保護司会は1896(明治29)年に設置された旧三養基郡内の町、村で構成された。その後、1954(昭和29)年4月には郡内の鳥栖町、田代町、麓村、基里村、旭村の2町3村が合併して鳥栖市が誕生する。
<きやぶ今昔物語>大楠の六地蔵(鳥栖市) 地域見守り続けて500年
九州新幹線などを利用する多くの乗降客でにぎわう新鳥栖駅(鳥栖市原古賀町)の南側に、周辺の大楠地域をひっそりと見守り続けてきた六地蔵が立っています。
<きやぶ今昔物語>更生施設設置へ決議 鳥栖地区保護司会
1954(昭和29)年7月、第4回「社会を明るくする運動(略称・社明運動)」の強調月間を迎えた。
<きやぶ今昔物語>社会を明るくする運動 70年前は保護司会中心の展開
鳥栖市にあった更生保護施設「清風寮」設置の端緒となった「社会を明るくする運動(略称・社明運動)」の現状と70年前の県内の様子について触れたい。
<きやぶ今昔物語>全慶寺跡 戦国時代の筑紫氏菩提寺
鳥栖市北西部に位置する国史跡勝尾(かつのお)城筑紫氏遺跡は、勝尾城跡をはじめとする城跡群、家臣の屋敷跡、空堀・石垣といった防御施設など戦国時代における城下町の様子がうかがえる貴重な史跡です。
<きやぶ今昔物語>「麓刑務所」誕生 全国4番目の女子収容施設
鳥栖市にあった更生保護施設「清風寮」について記す前に、麓刑務所の設置などについて触れたい。
<きやぶ今昔物語>下野の渡し 鳥栖と久留米を結ぶ渡し舟
鳥栖市の南端を流れ有明海に注ぐ筑後川はかつて千歳川(ちとせがわ)とも呼ばれ、九州最大規模の河川として「筑紫次郎」とも称されます。
<きやぶ今昔物語>更生保護 シンボルマークは甲骨文字由来
鳥栖市にあった更生保護施設「清風寮」について記す前に、更生保護について紹介する。現在の更生保護制度の基本となる法律の一つ、「犯罪者予防更生法」は1949(昭和24)年7月1日に施行された。
<きやぶ今昔物語>基肄城跡と大宰府羅城 古代史ロマンの外郭防衛ライン
朝鮮古代国の一つ百済再興をかけた日本援軍は663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗する。
〈きやぶ今昔物語〉五反三歩池 佐賀藩内のため池の先駆け
鳥栖市の最西端に位置する村田町には五反三歩(ごたんさんぶ)と呼ばれる地域がありますが、この地名の由来は江戸時代初期に成富兵庫茂安が手掛けた治水事業に由来すると言われます。
<きやぶ今昔物語>基肄城跡 久保山善映師に功労
「明治の末期から大正の初頭にかけ、専門史家の間に論議された神籠石(こうごいし)問題から、天智天皇の御世に築かれた日本最初の朝鮮式山城椽(き)城の遺跡が顕現した。大野城の遺跡も続いて発見された。
<きやぶ今昔物語>基肄城外の土塁施設
一層ずつ突き固める技法で築造
基肄(きい)城では、城外関連施設として「関屋土塁」と「とうれぎ土塁」の二つの水城類似築堤が確認されている。
<きやぶ今昔物語>舟石権現 山中に残る謎の巨石
鳥栖市河内町にある河内ダムから山道を南へ1キロほど行くと、道沿いに突如巨大な石造物が現れます。
〈きやぶ今昔物語〉千人塚 戦国時代の無縁仏をまつる
JR鳥栖駅の西側には、広大な敷地にさまざまな店舗が入る商業施設フレスポ鳥栖があり、多くの買い物客でにぎわっています。施設のすぐそばには静寂に包まれた千人塚が残ります。
<きやぶ今昔物語>基肄(椽)城跡 国内防衛体制を整備
百済再興をかけた日本・百済連合軍と、唐・新羅連合軍による海戦、白村江(はくすきのえ)=朝鮮半島南西部=の戦で惨敗し、敗走を余儀なくされた日本は、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備えるため、急きょ国内の防備を強化する必要に…
<きやぶ今昔物語>戦国時代の山城・高取城跡
天正14年合戦の激戦地
鳥栖市の北西部に広がる勝尾(かつのお)城筑紫(ちくし)氏遺跡は戦国期の遺構がよく残る国史跡ですが、その中の一つに標高290メートルの高取山に築かれた高取(たかとり)城があります。
<きやぶ今昔物語> 基肄(椽)城跡と朝鮮半島
3カ国が勢力争い
基肄(きい)(椽)城が築造された背景には、当時の朝鮮半島の状況が関係している。5世紀頃の朝鮮半島は、百済(半島南西部)、高句麗(半島北部)、新羅(半島南東部)の3カ国、及び伽耶と呼ばれる地域に諸小国が存在していた。
<きやぶ今昔物語>戦国武将・宗氏(4)
筑紫氏に従い勝尾城で合戦
肥前国から筑後国鰺坂(あじさか)城(小郡市)へ移った武将の宗統家は、勝尾(かつのお)城(鳥栖市)を本拠地に勢力を誇っていた筑紫氏に従います。
<きやぶ今昔物語>基肄(椽)城跡(1)
山頂に天智天皇欽仰之碑
基肄=きい=(椽)城跡として有名な基山=きざん=(標高404・5メートル)は、基山町観光の要であり、町民に基山のシンボルとして親しまれている。
動画