吉野ケ里遺跡
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平成元年 吉野ケ里フィーバー

 弥生のロマン、再び-。

 弥生時代後期~終末期(2世紀後半~3世紀中頃)の有力者の石棺墓(せっかんぼ)が新たに出土した吉野ケ里遺跡(国指定特別史跡、神埼市郡)。6月の調査では目立った副葬品は見つからなかったものの、全国の考古学ファンや研究者らから脚光を浴びた。

 『魏志倭人伝』に記されたクニを思わせる大規模環壕(かんごう)集落が広く知られる遺跡だけに、未発掘だったエリアの石棺墓を調べることで「謎」に迫る新たな発見への期待感が高まり、調査状況をリアルタイムで発信する佐賀県の戦略も奏功し盛り上がりを見せている。

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吉野ケ里遺跡とは

 神埼郡吉野ケ里町と神埼市にまたがる遺跡群。国内最大規模の環濠(かんごう)集落跡がある。弥生時代前期に2.5ヘクタールだった集落が中期に20ヘクタール、後期には40ヘクタール超に拡大しており、小さなムラがクニに拡大する過程が確認できるとして1991年に国特別史跡に指定された。約600メートル続く甕棺墓(かめかんぼ)列や、銅剣などを副葬した弥生時代中期の有力者の墓が見つかっている。

 

邪馬台国論争って何?

 中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の所在地を巡り、九州か畿内かという論争は江戸時代から続いてきた。決定づける証拠が長年見つからず、日本史や考古学などの研究者、古代史ファンなどが熱く議論を交わし、日本古代史最大のミステリーとされている。

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「謎のエリア」発掘

 「邪馬台国時代のクニ」と報じられて34年。その時代の有力者の墓が全く見つかっていないのは、吉野ケ里遺跡の大きな謎だった。

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