山口祥義知事と市川紗椰さんが特別対談 佐賀県政特集

佐賀の未来に活かす志

明治期の日本の新しい国づくりに大きく貢献した佐賀出身の偉人、大隈重信。今年はその百回忌にあたるメモリアルイヤーで、佐賀県は大隈の功績を顕彰し佐賀の未来づくりに活かそうと「大隈重信100年アカデミア」を実施しています。そこで、大隈が創設した早稲田大学を卒業し、大の鉄道ファンとして知られる、モデル・タレントの市川紗椰さんと、山口祥義知事が対談。大隈が手掛けた日本初の鉄道の話から、佐賀の旅の楽しみ方まで、多彩な話題で盛り上がりました。

 

知事 国づくりに向けマルチに活躍
市川 発想力と実行力で鉄道開通へ

大隈の偉業と志

―大隈重信の百回忌を迎えた今年、その功績に再び注目が集まります。

知事 大隈は総理大臣を2度務めただけでなく、近代国家に欠かせない社会基盤をつくるためにマルチに活躍した人物でした。

市川 私の母校である早稲田大学を創設し、日本のお金「円」もつくったんですよね。

知事 現代のAIやビッグデータの基となる統計制度をつくったり、女性に高等教育の門戸を開くため日本女子大学の創立をサポートしたのも大隈です。私は大隈をマルチタレントと呼んでいますが、それまで日本になかったものを次々と考案し、実現しました。

市川 新しい明治政府で井上勝らと共に、日本初の鉄道開業にも尽力しました。鉄道発祥の地であるイギリスを参考にしたと思いますが、それを日本に導入しようと考えた発想力と、実際にやり抜いた実行力が素晴らしいと思います。

知事 さすが、鉄道ファンの市川さん。150年前の日本は飛脚や馬車が行き交う時代。そこに誰も考えもしなかった鉄道を通していこうと思い立ったところに、大隈のすごさ、創造力があります。

―昨年、高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)の再開発工事エリアで、大隈が建築を決断した「高輪築堤」が発見され、大きなニュースになりました。

知事 日本初の鉄道を東京・新橋-横浜間に建設する時、その区間に鉄道建設を反対していた兵部省の敷地があり、用地の取得が難航しました。そこで大隈は陸上ではなく、東京湾の浅瀬に堤を築いて線路を通すことにしました。

市川 海上に鉄道を通すなんて、当時としてはとても斬新なアイデアですよね。高輪築堤の錦絵を初めて見た時は、架空の絵かと思いました。

知事 大隈は有明海の干潟を思い出して、築堤建設に踏み切ったのかもしれません。また、幕末の佐賀藩はいち早く蒸気機関を開発するなど、最先端の科学技術を誇っていました。こうした佐賀での経験が、鉄道誕生に結びついたのだと思います。

生家2階の勉強部屋には、大隈が勉強中に眠くなったとき頭がぶつかって目が覚めるようにでっぱりがある「ごっつん柱」が残される

市川 しかも錦絵には、高輪築堤の線路下を小船が通る様子が描かれています。沿岸住民の生活も考えていたんですよね。設計も石積みも精巧で、保存状態がとてもよかったと聞きました。

知事 これだけ貴重な遺構なので、国に保存を要望しに行ったところ、文科大臣とも意見が合って、第7橋梁部分など一部が国の史跡に指定されました。指定部分以外は解体されるため、その一部を佐賀に移して、県立博物館や大隈重信記念館、早稲田佐賀中学校・高校に展示する予定です。 

市川 とても楽しみですね。百回忌を迎えるタイミングで高輪築堤が発見されたことは、大隈からのメッセージと受け取りたくなります。

知事 コロナ禍で行動が制限されたことで、多くの人が自由に行き来できることの価値に気付いた。鉄道の礎を築いた大隈の志に学び、アフターコロナの新しい時代に必要とされるものをつくりたいですね。

未来に活かす

―現代はデジタル新時代を迎えています。明治維新期に社会を大胆に変革した大隈に、私たちが学ぶべきことは?

知事 「こんな世の中にしたい」「そのためにはどんなものがあったらいいか」という目的やゴールを見据えて、そのために必要な新しい製品やサービスをデジタル技術も使いながら実現していく。これからの新しい時代には、そんな「DX脳」を持つ人材――新国家の設計図を描いた大隈や江藤新平のような人材が欠かせません。

―DX時代に対応する、県の具体的な取り組みは?

知事 2018年に「佐賀県産業スマート化センター」を開設しました。こういった施設は全国初で、国内外のIT企業と県内企業をマッチングして、例えばドローンや顔認証など最新技術を使ったビジネスの芽が生まれています。
 また県庁では、いろんなアイデアが生まれる組織になるよう、多様な経験を持つ民間経験者の中途採用にも力を入れていて、中途採用者が職員に占める割合は全国1位です。さらに、民間企業・団体との連携も積極的に進めています。今年はJAXA(宇宙航空研究開発機構)と連携協定を結び、宇宙技術を農業や防災などに役立てる実証を行っています。
 ところで、市川さんは大のアニメファンですよね?

市川 はい、大好きです。

知事 佐賀県はアニメやゲームとコラボしています。観光キャンペーンでは、ホテルや旅館と一緒に、聖地を巡る旅を発信したりしています。
 そんな中、「旅館も観光だけでなく会社に使ってもらっていいのでは?」ということで、嬉野の老舗温泉旅館が客室をオフィスに改装して、東京の企業5社が進出しました。こういう新しい発想が、コロナ後の時代を創り出していくと思います。

市川 革新的なことを考えるだけでなく、実行してカタチにする仕組みも大事ですよね。

知事 佐賀ならではの魅力を磨く
市川 デジタル時代も主役は「人」

―デジタル時代に対応する教育も必要です。

市川 私が通ったアメリカの学校では、授業中に先生に質問すると、「あなたはどう思う?」と逆に質問されることが多かったですね。正しい回答よりも、自分の意見を述べることと、答えを出すまでのプロセスが重視されました。

―佐賀県は全国の自治体先駆けて、全県立高校で生徒の1人1台タブレット端末環境を実現し、学習環境のデジタル化を整えました。

知事 タブレット端末を使って学習するだけなく、自ら考えることが大事なので、そのためにデジタル技術を活用する力を養ってほしいですね。

市川 「疑う力」も重要だと思います。ネット社会では、入手する情報が偏りがちです。その影響もあり、アメリカでは偏見や分断が生まれています。情報の発信者には必ず意図があると考えて、情報を読み解く力も必要でしょう。

知事 大隈も若い頃に弘道館を退学になった後、蘭学寮で学ぶ機会を得ました。そして、漢学が主流の時代に英語学校を創設したことも。目先の情報や常識にとらわれず、常に広い視野で物事を考えていたからこそ、本来あるべき姿が見えていたんだと思います。そんな発想力と構想力ある人材を、佐賀から育てていきたいですね。

地方の観光振興

―来年秋から新しい観光列車「ふたつ星4047」が武雄温泉-長崎間を運行するなど、風光明媚な干潟の海を車窓から眺めるのも、佐賀のスローツーリズムの醍醐味です。

市川 JR九州の観光列車はすてきですよね。それと合わせて、ローカル線にもぜひ乗ってほしい。私は長崎本線や唐津線、筑肥線、松浦鉄道にも乗ったことがあります。地元におじゃまするような感覚を楽しめますよ。

知事 佐賀には豊かな歴史・文化に培われた「本物」がたくさんあります。たとえば、「鹿島酒蔵ツーリズム」はおいしい地酒と美しい町並みはもちろん、地元の人たちの飾らないおもてなしが魅力で、大勢の人を引き付けています。佐賀には日本的な魅力が残っているので、海外からの観光客にも好評です。
 こうした古くからある地域資源を大切にしながら、デザインの力を効果的に使いアピールして、心温かな出会いのある旅を提案したいですね。

市川 SNSを通して、地方の魅力が広がりやすい時代になりました。私の海外の友人たちも観光地化された場所より、個性豊かなマニアックな場所を好みます。そんな情報収集にもSNSは有効です。
 ただし、下調べを入念にしすぎると、チェックリストをこなすような旅になることも。路地裏をぶらぶら歩いたり、面白い喫茶店や看板を見つけたり、偶然の出会いも楽しんでほしいですね。

知事 私は鹿島や太良、唐津にふらりと出掛けて、散策するのが好きです。最近は鳥栖も気になります。駅スタやアウトレットだけでなく、昔ながらの駅舎やアイスキャンデー屋さんもあって魅力的です。

市川 JR鳥栖駅はまさに鉄道遺産ですよね。全国有数のハブ駅なのに、古い地下道があるし、湾曲したガラス窓の雰囲気もいい。駅中のうどん屋さんの味はホームごとに違います。鳥栖駅だけで1時間は語れそう(笑)。
 私は海外に日本の魅力を発信していけたらと思っています。佐賀の鉄道もすてきな観光資源ですから、ぜひ紹介したいですね。

―最後に、新時代の佐賀に向けてメッセージを。

市川 佐賀はこんなに豊かな歴史と文化があって、素直にうらやましいです。佐賀の子どもたちもふるさとを誇りに思い、胸を張れると思いますよ。
 今日お話しをうかがって、遠い未来を見据えた革新的なアイデアと、仲間たちと共に実行する力が大切だとも感じました。デジタルな時代になっても、主役は〝人〟なのだと思います。

知事 今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。そのなかで、フィンランドやニュージーランドといった国が佐賀の価値観に共感して、佐賀に事前キャンプに来てくれました。自然豊かで、人の魅力と連携が輝く佐賀は、アフターコロナの社会でますます存在感を高めていくと思います。
 現代に続く普遍的な価値を創造した大隈に学び、佐賀ならではの奥深い魅力に磨きをかけながら、世界に誇れる佐賀づくりにこれからも取り組んでいきます。

いちかわ・さや 1987年、愛知県名古屋市生まれ、アメリカ・デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。16歳の時にスカウトされモデルデビュー以来、様々なファッション雑誌で活躍中。早稲田大学を卒業。鉄道などディープな趣味の世界に通じる。

 

大隈重信記念館の正面大階段の前で