佐賀新聞の連載

県民と警察、音の懸け橋に 佐賀県警音楽隊5代目楽長 野口健士さん有料鍵

<令和に生きる(11)>
タクトの動きに合わせ、白の制服をまとった佐賀県警音楽隊の隊員たちがアニメソングや歌謡曲のメロディーを奏でる。6月中旬、武雄市の若木小であった演奏会で指揮を執ったのは、5代目楽長の野口健士さん(40)。

<令和 さがへの伝言(7)>家庭の孤立化 若者支援NPO代表理事・谷口仁史さん有料鍵

社会で支える視点必要
日本は社会的孤立が深刻化している。経済協力開発機構(OECD)の加盟国の中で社会的に孤立する人の割合が最も高く、国連児童基金(ユニセフ)の調査でも孤独を感じている子どもが突出していて3割に上る。

<放課後の居場所は今(6)>労働環境にも目を向けて

県放課後児童クラブ連絡会・石橋裕子理事長に聞く
佐賀県内の学童保育の現状を見つめてきた連載「放課後の居場所は今」。締めくくりとして、NPO法人佐賀県放課後児童クラブ連絡会の石橋裕子理事長に、現場に横たわる課題や今後のあり方を聞いた。

<放課後の居場所は今(5)>専門職と連携 作業療法士の助言で改善有料鍵

県内の学童保育の一室。子どもたちが長机を飛び石のようにして飛び移ったり、ランドセルを決まった場所に置かなかったり。子ども同士の衝突も多く、支援員の悩みは深まっていた。

<放課後の居場所は今(4)> 多様化する担い手 委託拡大、民間企業も有料鍵

=学童保育さがの事情=
「何かあったらすぐ連絡してね」。新年度スタートの4月はじめ、嬉野市内の学童保育で、支援員に声をかける女性の姿があった。 女性は市の担当課職員ではなく、市社会福祉協議会の坂口典子事務局長(67)。

<放課後の居場所は今(3)>苦悩する支援員 膨らむ業務、不安定な雇用有料鍵

「ただいま!」。神埼郡吉野ヶ里町の三田川小学校の敷地内にある学童保育。子どもたちの元気な声に、支援員のリーダー中山佐智子さん(55)は「お帰り」と出迎えた。 午後2時に出勤すると掃除、おやつの準備、職員ミーティング。

<放課後の居場所は今(2)>問われる質 狭い空間、「退会」示唆も有料鍵

学童の施設におらず、学校の教室で過ごしている。県東部の母親(47)が、支援員から長男が「困った子」として連絡を受けたのは、2年前の夏休みだった。 本人に理由を尋ね、驚いた。

<放課後の居場所は今(1)>学童、落ちた 受け皿増も、待機減らず

4月に入った春休み。佐賀市の女性(37)は、仕事を終えると、入学式間近の長男を迎えに行った。行き先は入学する学校の敷地内にある放課後児童クラブ(学童保育)ではない。7キロ以上離れた保育園が運営する民間の学童だ。

県議選まで1年(1)自民28議席以上目標有料鍵

=選択の構図= 国民民主は新人擁立模索
13選挙区で38議席を争う2019年の佐賀県議選まで1年を切った。

改憲論の足元で(6) これからの憲法論議有料鍵

=自民党案と佐賀= 5、10年後見据え議論を
■南野 森教授(九州大法学部) 自民党がまとめた4項目の改憲条文案について、佐賀県内の現場から影響や課題を見つめてきた「改憲論の足元で」。

改憲論の足元で(5) 教育環境充実 有料鍵

=自民党案と佐賀= 課題多く理解広がらず
雨が降る4月下旬の夕方。神埼郡吉野ヶ里町の中央公民館の一室に、子どもたちが息を切らしながら駆け込んできた。「背が伸びたね」「部活は何に入ったの」。地域ボランティアの言葉にはにかみながら、宿題や学習ノートを広げた。

改憲論の足元で(4) 合区解消有料鍵

=自民党案と佐賀=1票の重みか地方の声か
「ちょっと、違うんじゃないかなあ…」 2月、佐賀県中部の地方議員を務める30代男性は、自民党憲法改正推進本部が示した参院選の「合区」解消条文を了承した新聞記事を読み、違和感を覚えた。

改憲論の足元で(3) 緊急事態条項有料鍵

=自民党案と佐賀=災害対応の主体どこに
熊本地震の「本震」が発生した2016年4月16日。午後6時、被災地に送る支援物資を載せたトラックの第1便が鳥栖市にある日本通運の鳥栖流通センター到着した。

改憲論の足元で(2) 自衛隊明記 有料鍵

=自民党案と佐賀=「違憲」解消も不安消えず
陸自目達原駐屯地(神埼郡吉野ヶ里町)所属のヘリが、神埼市の民家に墜落した2月5日夕。県内の50代男性は、黒煙が上がるテレビの映像に釘付けになった。住民の無事を祈りつつ、搭乗していた隊員の安否が気になった。

改憲論の足元で(1) 広がらぬ議論有料鍵

=自民党案と佐賀= 「憲法=政治」で思考停止
「地下鉄などの女性専用車はあるが、男性専用車はない」。あっていい違いなのか。4月中旬、佐賀市の公民館で女性10人がテーブルを囲み考えた。 「憲法カフェ」と名付けた本年度最初の勉強会。

温故維新 美の系譜(3)「憑曲」古沢岩美

アバンギャルドの先駆者
「日本のダリ」とも称される古沢岩美(1912~2000年)は鳥栖市出身。16歳で上京し岡田三郎助宅に身を寄せ、本郷絵画研究所で学んだ。穏健な岡田作品とは対照的に、血がしたたるような生々しさで見る者に迫る。

温故維新 美の系譜(2)「三人の女」北島浅一

「黒」で独自性模索
佐賀美術協会の立ち上げに参加した北島浅一(1887~1948年)。中央画壇で活躍した久米桂一郎や岡田三郎助らとともに設立に奔走し、地域芸術の振興に励んだ。

眠れる戦国城下町(下)進まぬ整備活用

<国史跡勝尾城筑紫氏遺跡>求められる情報発信
勝尾城(かつのおじょう)の最前線の支城・葛籠(つづら)城跡(標高126メートル)まで鳥栖市の中心部から車で約10分。国史跡で市街地にこれほど近いのは珍しく、利活用の面からは高い付加価値があるとされる。

温故維新 美の系譜(1)「母と子」百武兼行

佐賀洋画史の原点
百武兼行(1842~84年)は、日本人が欧州で油絵の修業をした最初期の一人。日本の近代洋画発展を支えた岡田三郎助は、東京の鍋島邸で百武の絵を目の当たりにし、画家を目指した。佐賀の西洋画の歴史は百武に始まった。

眠れる戦国城下町(中)全国に誇る名城

<国史跡勝尾城筑紫氏遺跡>城群も、全体像残す
1586年の薩摩・島津勢の侵攻によって焼き尽くされた、勝尾城(かつのおじょう)下内の新町(鳥栖市山浦新町)の町屋跡からは焼け焦げた土や柱穴、火縄銃の弾が見つかった。同時に出土した陶磁器類は16世紀後半のものだった。
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