大学3年から2年間、赤坂にある東京全日空ホテル(現:ANAインターコンチネンタルホテル東京)でベルボーイのアルバイトをしていた。客室は800室以上もある大きなシティホテルで、生まれ育った旅館とは違うところが多く、毎日が刺激的だった。
アルバイトに入る時は旅館の息子ということを先輩たちには言わずに入ったが、程なくしてバレてしまった。「北川さん、何かやってた?」と直属の先輩から問われた。なぜ分かったのか聞いてみると、お客様と日常会話が普通にできるからだそうだ。普通の大学生のアルバイトは業務的に必要なことしか言わない。片や私は、「どちらからお越しですか?」とか「私も九州出身なんですよ」など会話の糸口を探して、年齢性別問わず会話をしながら接客していた。その様子を見て先輩は旅館の息子だと気づいたそうだ。
その先輩は、いつか自分のホテルを作りたいという夢を持っていた。「北川さんは良いよね。実家に帰れば旅館があるんだから」と羨ましがられたが、当時、私は旅館を継ぐつもりはなかった。バブル崩壊後、町や旅館がどんどん寂れていく姿を見ながら10代を過ごした身からすれば当然のことだろう。しかし、その先輩は「信用も経験もない自分がいきなりホテルを建てたいと言っても銀行はお金を簡単に貸してくれない。北川さんは帰れば、大きな建物があるから羨ましいよ。せっかく建物があるんだから自分がやりたい宿にすればいいよ」と続けた。
温泉旅館は敷居が高いイメージが強い。宿泊者や予約していないと気軽に入れない雰囲気がある。片や、シティホテルは宿泊、レストラン、喫茶、イベントなど様々な利用者が行き来する、言うなれば「駅」のような賑やかさとウェルカム感がある。
「こんな旅館だったらやってみたい」
初めて自分の実家に帰って事業継承をするイメージが湧いた。その時から約17年が経ち、大村屋は「湯上がりを音楽と本を楽しむ宿」というコンセプトをおき、館内で様々なイベントを開催したり、外来も利用できるMusic Barも開業した。日帰り入浴やプリンを食べに来ていただけるイートインのお客様も増えている。少しずつだが、あの時に想像した自由で楽しい宿のイメージに近づいている。
それも当時の先輩との会話がなければ、今の状況は変わっていたかもしれない。連絡先も分からないが、いつかその先輩に感謝の意を伝えたいと思っている。