馬渡島で確認された潜伏キリシタン墓とみられる遺構(渡邊秀一教諭提供)

潜伏キリシタンの墓とみられる遺構を見つけた渡邊秀一教諭(左)と牧山和人さん=唐津市鎮西町馬渡島

 唐津市鎮西町の離島・馬渡島(まだらしま)で、潜伏キリシタン期(江戸時代から明治初期)の墓とみられる遺構が確認された。昨年9月に島の歴史などをまとめた本を制作した唐津青翔高の渡邊秀一教諭(52)が調査を続ける中、島民の牧山和人さん(80)とともに発見した。

 馬渡島には、江戸時代後期、長崎の外海から潜伏キリシタンが移住したとされる。渡邊さんは本の改訂版を制作しようと、馬渡島の調査・研究を続けていた。2月4日、遺構の存在を知る牧山さんの案内で山林内の旧墓地に行ったところ、明治時代の十字架や洗礼名とみられる文字が刻まれた墓石を確認した。

 渡邊さんはキリシタン墓地の研究に取り組む西南学院大国際文化学部の伊藤慎二教授に連絡し、同月18日に3人で現地を調査。潜伏期から禁教が解かれた復活期にかけてのカトリック墓石が数多く存在することが分かった。

 伊藤教授は遺構の特徴について、方形の組石墓が長崎県の黒島や五島などで見られる江戸時代の潜伏キリシタン墓とよく類似するとの見解を示す。全体が段々畑状で、最上段が馬渡島に最初に入植した長崎県黒崎村の有右衛門家の墓域の可能性があるという。

 伊藤教授は「佐賀県ではほぼ唯一の、極めて希少なキリシタン墓地といえる。伝承のみだった近世潜伏期の馬渡島キリシタンの姿を残す歴史的意義を持つ文化財としての潜在価値を備えている」と評価した。

 今回の発見は2月25日、福岡市の西南学院大博物館で開かれた近年のキリシタン考古学の調査成果などを報告するシンポジウムで紹介された。

 政府がキリシタン禁制の高札を撤去した1873(明治6)年2月24日、江戸時代初期から続けられてきたキリスト教に対する禁教政策に終止符が打たれたとされている。渡邊教諭と牧山さんは「150年の節目に禁教時代の墓地が確認されたことにとても縁を感じる」と声をそろえる。(松岡蒼大)