「『これがマイク、五反林窯』と言われるように」と今後を思い描くマイケル・マルティノさん=多久市多久町の五反林窯

泉山染付鎬ぐい呑み

朝鮮唐津叩き一重口水指

作業場がある建屋の屋根裏にしつらえたギャラリー

 梅から桜、そして秋の紅葉と四季折々の表情を見せる多久市の西渓公園。その西側のなだらかな坂道の途中に「五反林(ごたんばやし)窯」はたたずむ。陶芸家マイケル・マルティノさん(55)。「とても印象的だった」という唐津焼との出合いから20年余がたつ。

 米国南西部のニューメキシコ州出身。近くの遺跡から石器や陶片を拾い集め、庭木の下からは約400年前のスペインの鉄砲玉なども出土し「子どもの頃から古いもの、骨とうなどは好きだった」。大学卒業後の1990年、「空手の修行」のため来日した。

 福岡市内で英会話講師を務め、九州大大学院に進んだ。ギャラリーに出向いたり、「唐津焼、高取焼を買って使っていた」と暮らしの中に陶器はあった。97年に帰国してソフトウエア開発会社に就職。ITバブルがはじけて職を探し、焼き物を輸入販売する会社立ち上げを検討した。インターネットで唐津焼を調べ、出合った窯元とメールでのやりとりが始まった。

 2002年に再来日し、訪ねた窯元は鶴田純久さん(65)=有田町。そこで目にした叩(たた)き技法による朝鮮唐津の水指(みずさし)。薄く無駄のない造形に釉薬のダイナミックな流れが「シンプルなのにエレガント。自分で作りたいと思った」。鶴田さんに教えを請い、大学院の頃に知り合った妻の故郷に根を下ろした。

 英会話講師をしながら当初は趣味として始めた。2005年に自宅にガス窯を設けた後、08年には初めての展示会をグループで開いた。「作ったものが売れた。プロとしてやっていく、これで食べていく」と意を決した。11年には穴窯、登り窯を築いた。

 「唐津の穴に入った」と表現する朝鮮唐津との出合い。叩き、釉薬の調合やかけ方、火の加減など技に際限はない。柔らかい筆先に慣れず「失敗の繰り返しだった」という絵唐津は「そのものではなく、ミニマリズム(必要最小限の表現)でどう描くか」。唐津焼の斑(まだら)、粉引、黒、青なども手がけ、それぞれの味わいを追い求める。

 昨年11月、窯で焼成中に棚が崩れ、約500~600点のうち8割が破損。一部は「特徴があり、いい作品になる」と金継ぎ、欠けた部分に木の根を組み合わせた呼び継ぎなどでよみがえらせた。この2月半ば、東京で開いた個展に“一点もの”に仕上げて出した。

 数年前からは原料に泉山陶石を使い、唐津から有田に移った初期の歴史を重ね「土味が出た磁器」も探究する。昔や他の作品も吸収、消化し「ただの写しではなく、自然体の作品で『これがマイク(愛称)、五反林窯』と言われるように」と先を見据える。(松田毅)

 

【取材メモ】

 窯の中の崩壊は「もう二度とやりたくない」。落胆を超え、その割れたり変形した器それぞれに個性を見いだし、“一点もの”に仕上げた気概、感性に感服する。探究心とあわせ、作陶すべての根底をうかがい知ることができた。