名護屋は東松浦半島北西部にある名護屋浦の西に位置します。炎向(ひなた)窯は名護屋城址から北に徒歩10分、打越姓の多い麦原(むぎわら)集落に建っています。文禄・慶長の役の際、佐竹義宣(よしのぶ)の家臣が名護屋陣中生活を記した『大和田重清日記』に「芳賀殿に麦原町にてお目にかかり」とあります。