登校班の小学生が集合する湯宿広場の足湯=嬉野市嬉野町

 長女と次女は小学生。朝の登校班の集合場所は湯宿広場と呼ばれている足湯。立ち上がる湯けむりの中で登校する姿は温泉街ならではの光景だ。嬉野は人々の暮らし・日常が共存する温泉街。

 戦後、高度経済成長と共に観光は、演出した非日常を味わうものが主流となった。人々は自宅では味わえない豪華なものや設備を求め旅行へ出かけた。昔のパンフレットなどを見てみると「冷暖房完備」や「カラーテレビ完備」など現在の生活では当たり前の謳(うた)い文句が並ぶ。また、団体旅行や男性客中心の時代にはナイトクラブやストリップ劇場などができ、町も非日常になっていった。私も小さい時は「夜は子ども一人で歩くと危ない」と言われていた。温泉街はお客様のもので、住んでいる子どもたちのものではなかった。

 2017年、デンマークのコペンハーゲンは「観光の終焉」という新しい観光促進戦略を発表した。名所を見るだけ、名物を食べるだけの消費的な観光ではなく、コペンハーゲンの市民の生活こそが観光資源と捉え、市民の暮らしに溶け込むような場と時間をつくっている。

 例えば、コミュニティーディナーというレストランを毎日午後6時から開き、市民と観光客が一緒に食事をする機会をつくっている。食事をしながら会話が生まれ、相性がよければ知り合いになる。その出来事が再訪のきっかけとなりリピーターになる。さらにはその土地への移住のきっかけとなるかもしれない。

 日本でも観光を入り口に町の生活を体験し、移住にまでつながっている事例がある。神奈川県真鶴町の泊まれる出版社「真鶴出版」だ。真鶴出版は小さな宿でチェックインをしたあとオーナーと一緒に“まち歩き”をする。そのまち歩きは、歴史的建造物や絶景を見るわけではない。真鶴町の市民が楽しんでいる商店や人に会いに行くものだ。宿を入り口に町を知り、町を好きになり、再訪する。さらには移住につながる。実際に真鶴出版をきっかけに真鶴町に移住した人々は、開業してから7年間で約70名にも及ぶ。

 昭和、平成がつくってきた大量移動、大量消費の観光とは全く違う観光が各地で生まれている。「その土地の光を観る」が観光の語源と言われているように、光は我々の生活や土地の中にあるもので、広告会社やコンサルが会議室でつくるものではない。

 朝の足湯で湯けむりと共に登校する子どもたちのような、私たちの何気ない日常こそが町の光だ。