山口良忠判事の人となりなどを語る山口保義さん=白石町の佐賀農業高

 戦後の食糧難時代に闇米を拒み続け餓死した白石町出身の山口良忠判事の生き方について学ぶ特別授業が6日、同町の佐賀農業高であった。同校の元校長の山口保義さん(79)が山口判事の人となりやエピソードなどを伝え、「今後の人生の参考にしてほしい」と呼びかけた。

 山口判事は1913(大正2)年、白石町生まれ。42(昭和17)年に東京地裁の判事になった。戦後、闇米を食べながらそれを扱う人を裁くことはできないと考え、体調を崩しても拒んできたという。47(昭和22)年、栄養失調が原因で肺の病気にかかり、33歳の若さで亡くなった。

 山口保義さんは山口判事の生き方に感銘を受け、講演活動を続けてきた北海道の弁護士の故山形道文さんの取り組みを受け継ぎ、佐賀県内外で紹介している。佐賀農業高では卒業を控えた3年生116人を対象に話をした。「終戦直後で反日感情が強かった米国でも、山口判事の死は命を懸けて信念を貫いたと賞賛された」などと説明した。

 本山彩花(あやか)さん(18)は「自分も社会に出るに当たり、信念を持って生きていきたい」と感想を述べた。古川凌斗(りょうと)さん(18)は「これから就職で行く愛知県の人にも山口判事のことを紹介したい」と語った。

 山口さんは「郷土の偉人を、これからも機会を設けて伝え続けたい」と話した。(澤登滋)