飯盛城があった城山

 伊万里市山代町には「山代富士」と呼ばれる山があります。東山代町、山代町一帯は古くから「山代郷」と呼ばれ、九州西北部に一大勢力を持っていた松浦党と関係が深いところです。松浦党2代目党祖の源直が平安時代末の久安年間(1145~51年ごろ)に現在の東山代町川内野に山ノ寺を本城として築き、最初に前線の拠点として山代町久原の山頂に飯盛城を築城したとされています。

 飯盛城があったことに由来して「城山」と名付けられ、国見山系から伊万里湾側にポツリと突き出た標高346メートルの流麗な稜線が富士山に似ていたことから山代富士と呼ばれるようになりました。

 飯盛城は西側の本拠地山ノ寺城を守護し、他の三方は美しくも険しい勾配の稜線に囲まれ、伊万里湾が一望に見渡せる位置にあったため、東松浦半島、福島、鷹島など松浦党の統治領地が眺望できる天然の要塞とされ、約440年間にわたり松浦党の守りの要となりました。

(地域リポーター・中尾良樹=伊万里市山代町)