「油絵のタブロー(キャンバスに描かれた絵)を完成するまで本格的な画家とは言えない」。夢二をそう厳しく評する専門家もいた。その指摘は、夢二にとっても長年のコンプレックスでもあった。当時、洋画を志す者はパリで学んでおり、洋行は夢二の長年の希望だった。