江戸時代、鳥栖市域の東半分は対馬藩の領地でした。したがって年貢米は海に浮かぶ対馬島まで運ばなければなりません。 江戸時代初期は博多まで陸路で運び、船に積み対馬まで運んでいました。ところが、博多までの陸送は馬で2~4俵ずつしか運べず、農民にとっては大変な負担でした。