「あのこと」(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS - FRANCE 3 CINEMA - WILD BUNCH - SRAB FILM

 2023年1作目にご紹介するのは、全人類に観(み)ていただきたい衝撃作『あのこと』です。

 1960年代。人工妊娠中絶が違法行為とされていたフランスで、前途有望な大学生のアンヌが、予期せぬ妊娠に独り立ち向かいます。2022年にノーベル文学賞を受賞した作家アニー・エルノーが、自身の実体験を基に書いた小説『事件』が原作です。

 本作品の見どころは、常に主人公目線の特別なカメラワーク。カメラは常にアンヌを捉え、全編が彼女の目線で紡がれます。直視できないほど肉体的にも精神的にも痛々しい現実を、ありのままに描いています。“観る”より“体験する”という表現の方が正しいといえるほど圧倒的な没入感で、観る者の心と身体に訴えかけます。

 違法とされる中絶をすれば、当事者を含め医師など関わった者は刑務所行きとなってしまいます。そのような状況下で、アンヌは親や友人にも打ち明けることができず、ただ一人妊娠という事実に立ち向かいます。

 妊娠から出産までの期間は約40週、中絶が可能な時期は21週までとされています。徐々に変化する身体を見つめ、あらゆる方法を模索するも、事実はどうにもなりません。太刀打ちできず残酷に流れていく時間と迫りくるタイムリミットに、観ている側もアンヌとともに焦燥感でいっぱいになります。その心情とは対照的なフランスの柔らかい日差しが、より一層アンヌの孤独感を引き立たせます。

 女性が学ぶこと自体が疎まれた生きにくい時代で、夢と学位のため努力する中での望まない妊娠。男女の体の構造の違いから、女性だけが経験する妊娠という出来事。この不公平さだけは、男女関係において唯一永遠に埋まらない溝でしょう。社会全体は、女性の妊娠・出産に、どれだけ寄り添うことができるのでしょうか。

 窮屈な社会の中で、選択の余地がなくとも自らの意志を強く貫いたアンヌの、想像を絶する痛みに目を背けることはできません。あらためて妊娠という出来事の重大さを知り、避妊について性教育について、考え直さなければなりません。

 中絶という行為の恐ろしさ、心身ともに永久に残る経験と傷跡-。全てが生々しく映し出されます。ある意味ホラー映画よりも恐ろしい映画ですが、生きている限り必ず向き合わなければならない“あのこと”。鮮烈な映画体験をしてください。