スフバートル県のダリガンガ村では、しばしば停電する。しかし誰も慌てない。昼間であれば家の外に出て、日なたぼっこをしながら近所の人々と談笑し、夜なら天の川や無数の流れ星を眺めながら星座にまつわる話をする。寒ければ乾燥させた牛のふんをストーブで燃やして暖を取ったり、バターを作ったりしながら、灯油ランプを囲んで時間を過ごす。
水道や風呂はなく、食材に限りがあるため食事の種類も多くはない。しかし、モンゴルには大自然がある。大草原をはじめ、標高4千メートルを超える美しい山々、日本から飛来する白鳥が夏を過ごす佐賀県ほどの面積の湖、そして広大なゴビ砂漠と、神様が与えてくれたとしか思えない宝物が数えられないくらいある。
ある日の診療後、モンゴルの医師チームが「湖の源の湧き水を見に行こう」と誘ってくれた。その泉に向かって、ある伝統的な民謡を歌うと湧き水の勢いが強くなるそうだ。大きな美しい声で歌い始めると、目の錯覚だと思うが確かに水底から湧き上がる泉の勢いが増したように見えた。皆で「湧いた、湧いた」と笑い合った。
モンゴルの人々は楽しみながら大自然と共存、共生し、「不便だから今の生活を変えたい」という欲がない。否定するつもりはないが、日本では便利になることが幸せの基準の一つになっている。われわれはそれを発展と呼び、発展することが人類のあるべき姿と認識し、それを満たしていない国を「発展途上国」に分類する。
泉からの帰りに、医師たちに「日本人は発展途上国と言うが、あなた方は発展を強く求めず、大自然を楽しみながら暮らしていて、『足るを知る』を教えてくれた。失礼な言い方かもしれないが、モンゴルは『発展不要国』なのではないか」と話すと、皆がうなずき、いつものほほ笑みを返してくれた。(前佐賀大肝疾患センター長・医療法人ロコメディカル副理事長)