脚本家の山田太一さんは小高い山に近い郊外の映画撮影所で働いていた。1960年ごろの話だろう。初めて東京・赤坂のテレビ局を訪ねた時、違和感を覚えたとエッセーに書いている。違和感をもたらしたのは、土がないことだった◆土ぼこりやぬかるみをつくり、時には始末におえない土がテレビ局には全くない。当時、舗装された道路は少なく、あちらこちらに土の道があった。土の感触は日常なのに、土のない場所で「人間の物語」が描かれていいのか。それが違和感の原因だったという◆舗装が進んだ現在、土の道路を通る機会はほとんどない。田んぼの間の道でさえ、軽トラックが通るくらいの幅があればアスファルトで舗装されている。わだちもなくて通りやすいが、たまに土や砂利の道を歩くと気分がいい◆佐賀平野は麦秋から田植えの季節に移り、この数日で景色が変わった。紙面では子どもたちの田植え体験の記事も目にしたが、ふだん味わえない土や泥の感触はきっと記憶に残るのではないだろうか◆足裏のへこんだ部分は「土踏まず」という。いまは土の少ない環境で、まさに土踏まずの日常を送っている。家族総出で田植えをした頃を思うと、ぬるっとした感触がよみがえる。何かの役に立ったわけではないが、「人間の物語」の中に居て足裏の記憶は大切に思える。(知)

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