筑後川の堤防に建立された記念碑

 鳥栖市の南端を流れ有明海に注ぐ筑後川はかつて千歳川(ちとせがわ)とも呼ばれ、九州最大規模の河川として「筑紫次郎」とも称されます。その川幅は広く、古くより人々は渡し舟などで往来をしていましたが、鳥栖市下野町には対岸の福岡県久留米市と結ぶ「下野の渡し」がありました。

 下野の渡しがいつ頃から運航されていたのかは定かではありませんが、久留米市城島町のお仙荒籠(あらこ)(堤防から川中へ石垣を築いたもの)にまつわる悲話では、明治維新の頃に幼子を連れたお仙が渡し舟に乗って下野村にいる恋人の八太郎を訪ねたと伝えられています。

 その頃の渡し舟は船頭が竿をさして運航するものでしたが、やがて機械を利用した汽船が導入されていきます。下野地区と久留米市を結ぶ唯一の交通機関として重要な役目を担った下野の渡し船は、1966(昭和41)年からは鳥栖市営とされ、多くの人々が利用していました。

 その後、74(昭和49)年に渡し場の下流に長門石橋が完成すると、風や天候に左右されずにいつでも往来できることや自家用車の普及などから渡し舟の利用者は減少し、77(昭和52)年に廃止となりました。

 地域のかけがえのない交通手段であった下野の渡しですが、2019(令和元)年12月に記念碑が地域の皆さんによって建立され、その歴史が語り継がれています。(地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)