初めて公開された田澤の日記。びっしりと日々の動きが書き込まれている

緊迫した状況が筆跡からも伝わってくる「二・二六事件」当日のページ

 「青年団の父」として知られる社会運動家の田澤義鋪(1885~1944年)=鹿島市出身=の日記が1日、鹿島市生涯学習センター・エイブルで初めて一般公開された。陸軍の青年将校によるクーデター未遂事件「二・二六事件」(1936年)で、臨時首相代理として事態収拾に当たった後藤文夫内相を護衛して皇居に送り届けた記述を含む日記など15点を集めている。日記の公開は5月15日まで。

 田澤は45歳だった1930(昭和5)年10月から日記をつけ始めた。県立図書館が所蔵しており、プライバシーの保護期間の80年が過ぎたため公開された。日記は合わせて7冊で、期間は昭和5年10月~7年2月、同9年~12年、同14年、同17年まで。

 このうち、「二・二六事件」当日は、文字が殴り書きに近い。クーデター部隊の検問をくぐり抜けて皇居に向かった1日の動きとともに、青年将校たちを「反逆」と強く批判している。

 この企画展では、神埼市出身の作家下村湖人による田澤の伝記『この人を見よ』のベースとなった原稿も初めて公開された。伝記は下村の名で発表されたが、実際は田澤の書生だった加藤善徳の原稿を下敷きに、下村が手を加えた経緯がある。

 企画した鹿島市民図書館の高橋研一学芸員は「田澤は常に日記を持ち歩いていたようで、その記述は行動記録に近い。日記の発見により、田澤自身の目線と言葉で考えを知ることができるようになった」と解説する。10日午前10時からは、高橋さんによるギャラリートークも開く。定員は先着30人。要予約。(古賀史生)