佐賀県立美術館で開いた「源氏物語の女」展は盛況だった。だが、この時、中島は画家として壁にぶち当たっていた(1994年5月29日)

 平安遷都1200年にあたる1994年に「源氏物語」をモチーフにした「源氏物語の女(ひと)」を発表したものの、その筆が止まった。すっかり人気画家としての地位を確立した中島だったが、50歳を前にして打ちのめされる。新たな壁にぶち当たったのだ。

 源氏物語に登場する女性を、1人ずつ取り上げていくつもりだったが、思惑が大きく外れた。源氏物語の研究家青山フユを岐阜県中津川まで訪ね、3日間続けて原文の朗読に耳を傾けもした。谷崎潤一郎版「源氏物語」を読み込み、自らの内に作品世界を形作っていった。だが、それでも筆は進まない。

 ◆風が止まった

 はたと気がついた。女性たちに動きがないのだ。

 「彼女たちは歩かないし、跳ねることもない。期待していた女性たちの華やかな立ち居振る舞いがまったく見当たらない。『静』の中にずっとたたずんでいて、恋のために動いているのは男たちだった」

 動きがなければ、中島作品に欠かせない「風」も吹かない。源氏物語は五十四帖に及ぶ。「最後まで描き上げるのは無理だ。もう、画家を辞めよう」。そこまで思い詰めて逃げるように、ふるさと佐賀へ、佐賀市内にアパートを借りた。

 再始動のきっかけを与えてくれたのは、そのふるさとの風だった。

 「窓から脊振の山並みが見えて、風が吹いてきた。学校の子どもたちの声が聞こえてきて、僕は救われた。生き返った」

 再び、源氏物語に向き合った。「千年前も今の世も変わらない。男性の横暴さと権力と欲。そして、手にした権力は必ず失われていく。人間は本当に変わらない」

 ◆鏡の向こう側

 完成させた源氏物語に中島は、主人公である光源氏をあえて描かなかった。

 「女性たちが声を聞いただけで感激し、震えて泣いてしまう。あまりにも空想的」と思えたからだ。

 実は、たった1枚だけ光源氏を描き込んでいる。別れを惜しんで紫の上が泣き崩れる場面。その傍らの鏡に映り込む形で、光源氏の顔だけをしのばせた。

 「光源氏はともかく、源氏物語には一人一人の女性の生き方がしっかりと描かれている。自由奔放な人もいれば、我慢強い人も、嫉妬深い人も。あれを描ききったことが、僕にとっては大きかった」。平安の女性たちの生き方が、女性画に深みを与えてくれた。

 五十四帖すべて、佐賀市から移した唐津市のアトリエで描き上げた。55歳。足掛け8年が過ぎていた。(敬称略)