23日に投開票される嬉野市長選は、現職と新人2人が、秋に開業する新幹線を生かしたまちづくりや自然災害対策などを巡って論戦を展開している。各候補の横顔を紹介する。(古賀真理子)=上から届け出順


さまざまな壁、挑み続ける 岸川美好氏(73)
 「もがき苦しんでゴールすると、大きな拍手をもらった。どんなに苦しくてもやっていこうと自信になった」。1964年、東京パラリンピックの陸上競技(国内大会部門)に出場した際、苦手な水泳50メートルに行事で挑んだ時のことだ。陸上100メートルで取った金メダルさえかすむ体験になり、その後さまざまなことに挑戦していく原点になった。
 鍼灸(しんきゅう)専門学校で知り合った妻との結婚を機に、嬉野市に住んでおよそ半世紀。義父から継いだ鍼灸院を、最盛期は従業員30人規模に成長させた。著名作曲家の故市川昭介さんとも出会い、52歳で歌手デビュー。紅白出場を目指したPRで、妻と長崎から東京まで歩いた経験もある。
 2002年の盲導犬アロマとの出合いで、共に利用できる施設が少ないことを知り、47都道府県の知事らに対応の改善を求める活動にも取り組んだ。「目は不自由だが、不幸とは思っていない」。常に壁にチャレンジしてきた。
 「嬉野にかつての活気を取り戻したい」と、4年前に続いて立候補した。前回は告示直前の出馬で態勢が整わなかったと話し、今回は「現状を聞いて回り、4年かけて準備した」と意気込んでいる。嬉野市下宿。


石橋湛山、政治家の模範に 村上大祐氏(39)
 新聞記者時代に担当した嬉野市の子育て環境と人情味にほれ込み、自宅を構えた。九州新幹線長崎ルート武雄温泉-長崎の開業を控えていたり、デジタル改革の波が起きたりする中、「新しいまちをつくりたい思いがあった。若い人が根付くには新しい感覚が必要とされていると肌で感じた」。35歳で出馬し、初当選した4年前をこう振り返る。
 小学2年でルールを覚えた将棋愛好家で、将棋欄を見るうちに新聞に親しんだ。進学先の九州大では、戦前はリベラルな思想の記者で、後に首相になる石橋湛山を研究。「臆することなく堂々と考えを主張する姿を模範としてきた。いま思えば、記者にも政治家の仕事にも通じることだった」
 直売所巡りで仕入れた食材で月2、3回は料理を作る。豚肉がとろけるカレーなど煮込みが得意で「煮込む時間は読書。最近は視野を広げようと、ネットメディアや建築の本も読む」。小学3年と1年の子どもには、出身地の広島のお好み焼きが一番人気という。
 好きな言葉は、将棋の藤井猛九段が扇子に揮ごうする涓滴(けんてき)。同じことの繰り返しの中にこそ実るものがあると、粘り腰での取り組みを心掛ける。塩田町馬場下。

 

「なせばなる」で難題突破 藤山勝済氏(71)
 3度目の市長選挑戦は迷ったという。それでも「1回目より2回目、3回目といろいろな人に話を聞かせてもらえるようになり、信頼関係ができてきた。この仕事をできるのは私しかいない」と出馬を決めた。
 東京都出身。31年間務めた三井不動産では、同社初のアウトレットモールや、防衛庁跡地を再開発した大型複合施設「東京ミッドタウン」などの事業に携わった。「子どもの頃からの夢だったまちづくりをしたい」と、2005年に独立。長崎県大村市の商業施設計画などに関わってきた。転機は10年前の嬉野市再訪。衆院議員を務めた嬉野出身の祖父・故相川勝六氏と10歳頃に訪れた時に比べて「活気が失われていた。もったいない」と感じた。9年前に移り住み、市のかじ取り役を目指した。
 社会人になって40年ほどは10人乗りのヨットレースに打ち込んできた。移住後はもっぱらグラウンドゴルフで、週2、3回はプレーする。「寒い日も早朝から行くので健康につながる」
 好きな言葉は「なせばなる」。開発の仕事で難題に直面しても、どうしたらできるかを考え、突破口を見いだしてきた。「こうと決めて頑張ると、最後は何とかなる」。嬉野市下野。