毎月1回、福島県双葉郡富岡町にあり休校している県立富岡高校前で、校歌が響く。元校長で福島第1原発事故の被災経験を語り継ぐNPO法人「富岡町3・11を語る会」代表の青木淑子さんが、誰もいない校舎に向かって歌っているという。子どもたちの未来図が崩されたことへの申し訳なさなのだろうか。

 昨年12月、唐津市で講演した青木さんが冒頭、スクリーンに映した写真は、富岡高校のグラウンドで芝生の上に転がっている崩れかけた野球ボールだった。東日本大震災から4年たった2015年に元野球部監督が撮影した1枚で、避難によりまちに誰も住んでいない象徴と紹介した。

 その年の8月、震災時の在校生が3日間、2時間だけ学校に入ることが許された。教室は当時のまま。青木さんは何を持ち帰るのだろうかと元生徒たちの様子を見ていたが、校内をただただ歩き、最後に校歌を歌って去っていったという。

 道半ばの復興を担わざるを得ないのも若者たち。「私たちはこの子たちに、ものすごいことをしてしまったのかもしれない」。苦悩の言葉にアンダーラインを引いた。

(唐津支社長・辻村圭介)

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