1日、韓国から池明観(チ・ミョングァン)氏死去のニュースが届いた。金大中(キム・デジュン)政権で日本の大衆文化開放政策の責任者を務め、日韓の文化交流の礎を築いた人だった。20年前に一度取材したことがある。

 池氏は朝鮮半島の北部出身で、日本の植民地支配末期に小学校の先生をしていた。その時の同僚で帰国して佐賀県内に住んでいた女性と2002年、唐津市の名護屋城博物館で再会を果たした。セッティングした人が佐賀新聞だけに教えてくれ、唐津支社に勤務していた私が出掛けていった。

 記者としてもめったに巡り合えない「いい話」。今なら社会面の読み物に仕立てただろうが、当時はそんな力量はなく、地方面に薄味な記事を載せただけだった。70~80年代、軍事独裁下の韓国で民主化運動が弾圧される実態を世界に告発した「T・K生」。それが池氏だと明らかになる前とはいえ、とびきりのネタを回してくれた上司をがっかりさせたのを覚えている。

 当時、日韓関係はサッカーW杯の共同開催もあり、友好ムードは盛り上がっていた。地理的にも近い県内では、各地で草の根交流が盛んに行われた。交流はさらに深まると思っていたが、今はどうだろうか。

 池氏は08年、本紙掲載の寄稿で、日韓関係について次のような趣旨のことを書いている。「政治が目前の利害を超えて大局的な判断をするのは難しく、良識ある市民による交流が求められる」(伊万里支局・青木宏文)

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