唐津焼は昭和初期、中里無庵(十二代中里太郎衛門)氏ら先人たちのたゆまぬ努力によって400年の眠りから覚め、復活した。茶陶において「一楽二萩三唐津」と称されるそのブランド力は今も揺るがない。平成の世、唐津焼の肝というべき「土」に関して革新的な説が起こった。それは「古唐津は粘土ではなく、砂岩から生成した陶土によって作られていた」という説。“それまでの常識”を覆す説によって作られた唐津焼は古唐津とほぼ同じニュアンスを持ち、やきもの好きの琴線を揺さぶる。サカズキノ國特別編の今回は、「古唐津・砂岩説」を支持、実践する作陶家4人の座談会で“唐津焼イノベーション”に迫った。(構成・文 村多正俊、写真 中井泰太)

村多吉野さん、「古唐津は砂岩から生成された陶土で作られていた」と提唱された方がいらした、と。その方の説に吉野さんのお父様である靖義さんや梶原靖元さんらが触発をされ砂岩で陶土を作り、作陶を始めた、とお聞きしています。その提唱者とは?

吉野須藤善光さん(故人)です。朝鮮半島の事情に精通していて「唐津は朝鮮半島の焼き物と同じ。陶土は石から作ったに違いない」っておっしゃっていた。(注・朝鮮では陶工が日本にやってきた時代、陶石から陶土を生成し、作陶した)

村多文禄・慶長役の時、朝鮮半島から人々がこの肥前に来て、やきものを始めた。この地にある材料で製法は向こうのやり方だった。

吉野はい。父も粘土が採れないところに多数の窯跡はあるが、砂岩は肥前エリアどこにでもある、ということで納得していました。

矢野常識っていうのは怖いよね。唐津焼は粘土で作る、という常識が。

山本梶原さんが「砂岩から陶土を作り、唐津焼を作ることができた。それをずっとやっているところが有田だ」と言われていた。有田はまさに陶石を砕いて陶土を作る。吉野(靖)さんや梶原さんが磨き上げた唐津焼の製法と全く同じ。

魅力的

村多矢野さんはなぜ砂岩でやろうと思ったの?

矢野吉野(靖)さんや梶原さんの作品と粘土による他の作陶家との違いを感じていて。前者はまんま古唐津。だったら砂岩で作ろう、と。

村多石井さんは?

石井古唐津が魅力的で…これを作れる人間でありたいな、と。であれば、素材の知識がないと…それゆえの砂岩、ですね。

山本自分が面白いなと思っているのは考え方が変わるところ。「常識」とされてきたことがひっくり返る瞬間…「古唐津・砂岩説」はまさにそれ。

村多古唐津本来の製法が砂岩から生成した陶土で、というのは見えたわけだけど、どうして唐津焼の作陶家が皆、砂岩に振り切れないのかな。

山本粘土を主に使う作家は、古唐津の精神性を大切にしつつ「自分のスタイルとして粘土の良さを引き出したい」って感じな気がする。

村多石井さんは今後どう表現していきたい?

石井ひたすらに「したいこと」をし続けます。

村多吉野さんは?

吉野私はこのはぜノ谷の砂岩だったり、木だったり、わらだったりでやきものを作る。ここで採れた農産物みたいな焼き物が「本物」だと思うので。

村多矢野さんは。

矢野ただただ、唐津を作りたい。

素材感

村多でね…波佐見焼が人気。波佐見って東京ではブランドで、それに対して皆さんはどう思うのかな。

山本波佐見は波佐見。ただ現代の生活でも合うといえば、古唐津の雑器の持つシンプルな魅力と素材感は抜群だと思う。

石井唐津はみんな「まとまらない」。僕は波佐見に住んでいたこともあって、作陶家たちは自分たちでブランディングしないと生きていけない、と誰もが危機感を持っていたように感じていた。

村多石井さんからすると唐津はバラバラだと。

石井はい。プロサッカーに例えると唐津はブラジルみたいに個人技タイプ。「チームワークで唐津焼を良い方に持っていく」というよりは、ずばぬけた個人技を生かす方向かな。

矢野唐津焼の先輩方を見ると熱い方が多いね。

石井唐津はまとまることを必要としていない。飲食をはじめさまざまな業種に首都圏を口説けるスキルを持った人が多い。そんな窯業地は他にない。

山本作家はまとまらなくていいと思う。有田から見ていると唐津の「まとまらない感」こそが素晴らしいのであって。

村多そんな唐津の気風が須藤さんを生み、吉野(靖)さん、さらには梶原さんを育んで…そのフォロワーたちがここにいるわけで。

矢野古唐津があって…無庵(中里無庵)さんが出てきて、(西岡)小十さん、(中川)自然坊じねんぼうさん、丸田(宗彦)さん、(川上)清美さん、そして(西岡)良弘さん…須藤さん、吉野(靖)さん、梶原さん…諸先輩方の積み重ねで今がある。おのおのやらねばならぬことを一生懸命考えて、次世代につなげないと。

吉野唐津焼は素材感が強いよね。だから無機質な現代のマンションにマッチするっていうところに、皆さんは気づいてないんじゃないかな。気づいてもらうことは最重要。

山本「伝える人」がいないと伝わらないよね。

村多今は伝える手段があるし、それをうまく運用していく。「おのおのがやりたいことをやって、価値を伝える」、これができれば今日集まった皆さんは「唐津焼の良さをさらに広められる」っということだね。

矢野そう。作るし、伝えないとね。唐津が好きだから。

(構成・文 村多正俊、 写真 村多正俊、中井泰太郞、吉野敬子)

座談会に参加した作陶家たちが所有している古唐津。今回、連載の共同執筆者だった勝見充男さんは盃を村多さんに託して“参加”

座談会出席者プロフィール

石井義久

「まとまらない感」が強み
石井義久さん
いしい・よしひさ 1989年、東京都八王子市生まれ。2012年に県立有田窯業大学校卒、13年、米国ペンシルバニア州とメキシコを放浪。翌年、矢野直人氏に師事。18年、相知町で独立。唐津市相知町。

矢野直人

次世代に伝える役割担う
矢野直人さん
やの・なおと 1976年、唐津市生まれ。94~98年に米国留学。2002年、県立有田窯業大学校卒、03年、県立有田窯業大学校嘱託講師に。08年、韓国で半年間作陶、15年に割竹式登り窯築窯。唐津市鎮西町。

山本亮平

「常識」ひっくり返された
山本亮平さん
やまもと・りょうへい 1972年、東京都生まれ。98年に多摩美術大学絵画科卒、2000年に県立有田窯業大学校短期研修修了。06年、有田町で独立、19年に割竹式土窯を築窯。有田町。

吉野敬子

地元素材で作ってこそ本物
吉野敬子さん
よしの・けいこ 1972年、伊万里市生まれ。96年に父・吉野靖義の元、櫨ノ谷窯にて修行。2003年、県立有田窯業大学校にてろくろの技術を学ぶ。13年、櫨ノ谷窯の窯主となる。伊万里市。


村多正俊

コーディネーター
村多正俊さん
むらた・まさとし 1966年、東京都町田市生まれ。ポニーキャニオン・エリアアライアンス部長として映像や音楽を活用した各地の地域活性化事業をプロデュース。古唐津、佐賀の風土に魅せられ、WEB、雑誌、新聞等を通じてその魅力を発信している。古唐津研究交流会所属。世田谷区在住。

サカズキノ國
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