有明海へとつながる塩田川下流、鹿島市と杵島郡白石町を結ぶ国道207号に「百貫橋」がある。地域の暮らしを支える幹線道路の一つで朝夕の通勤帯など日々、せわしく車が行き交う。並行してJR長崎線を渡す鉄橋もあり、重要な輸送の役割を担っている。

写真を拡大  杵島郡白石町(写真左)と鹿島市をつなぐ百貫橋。奥の有明海にはノリの養殖場が見える(ドローン空撮)

 「百貫」の地名は、江戸時代末期に作られた港に由来している。かつて「豊穣(ほうじょう)の海」と呼ばれた有明海は大量の水揚げを誇り、1日の漁獲量は百貫(約375キロ)に上ったとされる。白石町古渡の元区長、大隈竹次さん(85)は漁業を営んでいて「『百貫港』と言えば名の通る港だった。魚市場も立って、朝から競りでにぎわっていたよ」と振り返る。

 百貫橋が架かったのは1927(昭和2)年。それまで塩田川を行き来するには、船で渡る必要があった。当時、古渡地区には「渡し舟」の船着き場があり、大隈さんが幼い頃までは「橋に行くより近い」と住民らが船で川を渡る姿が見られたという。「船をこぐ船頭は地区の当番制だった。10代のころ、幼いながら船をこいで人を渡し、農耕牛も運んだのが懐かしかね」

 塩田川では物資輸送も行われた。潮の満ち引きを利用してさかんに船が行き交い、嬉野市塩田町の川港「塩田津」が、水上交通の要衝として栄えた。橋が架かれば、帆を張る柱をたためず入港できない、産業に大きく関わる-。塩田町誌には、当時の塩田町などが開閉装置を備えた橋の建設を陳情した「百貫橋問題」が記されている。

 30(昭和5)年11月、「百貫橋」の鉄道橋を通って国鉄長崎本線が肥前浜まで開通、その4年後には長崎まで全線がつながった。時代の移ろいとともに自動車や鉄道による交通や輸送が主流になっていく。人やモノの新しい流れを生んでいく転換点を「百貫橋」にみることができる。

 現在の橋は、新しく付け替えられたもので80(昭和55)年に完成。同時期に「鹿島バイパス建設」事業の着手が決まり、地域の“大動脈”が形作られていった。付け替え開始から46年後、昨年12月に鹿島バイパスの全線4車線化工事が終わった。

 祐徳稲荷神社までのスムーズなルートが整備されたが、感染症の拡大で例年より参拝者は落ち込んでいる。神社近くで土産品を売る店主は「初詣のお客さんが戻ってきてくれるといいが…」と話した。
 (文・中島幸毅、写真・山田宏一郎=佐賀新聞)

 

■グルメ観光スポット 塩田津 =嬉野市塩田町馬場下甲=

 長崎街道の宿場町で、古くから有明海の満ち潮を利用する川港として栄えた「塩田津」(嬉野市塩田町)。江戸時代から、熊本県天草の陶石が荷揚げされ、陶土をつくる産業が発展した。磁器の原料として有田や波佐見などの焼き物の産地へ運ばれた。

 白壁が美しい町屋があり、2005年に国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定、風情のあるまちなみを残している。国の重要文化財の「西岡家住宅」は土日に一般公開している。

 近年では、古民家や蔵をリノベーションした飲食店やコーヒーショップなどがオープンしている。毎週、日曜日には地元の生産者らによる朝市が開かれる。