結婚式の会場は間借りの一部屋だった。明治38(1905)年、5月の終わり。花嫁をはじめ集まった家族や友人は、10日も前に東京を発ち帰郷してくる新郎を待っていた。

 待ち続けた……が、いくら待てども新郎はやって来ない。仕方なく新婦だけで式は挙げられた。

 新郎はそのころ、途中下車して知人から借金し、ぐずぐずと遊び回っていた。要するに、祝言をすっぽかしたのである。新妻の待つその間借りの家にようやく姿を見せたのは4日後のことだった。新郎は数えで20歳。のちの歌人、石川啄木である。

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 啄木が3週間ばかり過ごした間借り部屋は「啄木新婚の家」として、岩手県盛岡市の中心部にひっそりと残っている。先日、全国の新聞社が集う「新聞大会」が同市で開かれ、会場へ向かう途中、寄り道をした。

 もとは下級武士の屋敷で、啄木が借りたのは3部屋。蜜月の甘い生活とはいかなかったようである。障子ひとつ隔てて、お寺の金を使い込んで住職をクビになった父親、それに母親と妹が転がり込んでいた。

 東京で処女詩集を出版し、これから一旗揚げようと夢見ていた矢先、故郷へ引き戻され、財産も何もない一家を養わざるを得なくなったのである。結婚式をすっぽかしたくなる心境もわからないではない。

〈人みなが家を持つてふかなしみよ/墓に入るごとく/かへりて眠る〉

 のちに貧しさや嫁姑の不和、病苦の中で家庭があることを「かなしみ」と詠い、仕事から帰って「墓に入る」ように薄っぺらい布団にもぐり込む日々を嘆いた早い晩年が透けて見えるようである。

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 盛岡を訪れたころ、話題は岩手出身の米大リーガー大谷翔平選手がMVPを獲るかどうかでもちきりだった。観光名所「神子田みこだ朝市」で、野菜を並べるおばちゃんたちまで、まるで近所の生徒が出場した高校野球の試合でも語るように、熱く今季の大リーグを振り返っていた。

 故郷を離れ、海の向こうで夢をかなえた若者。東日本大震災から10年を過ごした被災地にしてみれば、それは復興という夢の、ひとつの結実であるのかもしれない。

 地元紙に寄せた随筆の稿料で一家を支えた啄木はほどなく故郷を去り、新聞記者などをしながら北海道を転々としたのち、朝日新聞の校正係に職を得た。胸を病んで26歳の短い生涯を閉じるまで、世に出た歌集は『一握の砂』一冊のみ。文学で身を立てる夢はついに果たせなかった。

 かなった夢、かなわなかった夢。それを分かつものは何だろう。新婚の家でしばし思いにふける。気づけばもう新聞大会が始まる時刻。部屋のあるじをまねて、すっぽかした…なんてことはない。(月1回掲載)

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