アフリカで太陽光発電パネルの設置などを進める川口信弘さん(中央)

 違う星にでも来たかのような感覚でした。同じ地球に住み、同じ姿をしているのになぜ? と衝撃を受けました。

 「あなたの太陽光発電をアフリカの電気のない村に使用できないか」。今から10年ほど前、開発に明け暮れていた軽量太陽光発電システムを聞き付けた東京のコンサルから連絡が来ました。何だかよく分からなかったものの、自分の技術が役立ってビジネスになればこんないい話はないと、すぐに行動を起こしました。

 写真を眺めたり、貧困の度合いを聞いたりしてもピンと来ない。電気のない生活は過去にミャンマーを訪れて知っている。「リアルなアフリカを見てみたい」と、その時は強く思いました。

 アフリカへの渡航は欧米などのようにはいきません。黄熱病のワクチン接種の証明書(通称イエローカード)を持っていないと入国できないのです。慌てて検疫所に連絡し、福岡空港で接種しました。アフリカ行きを決めた2週間後には、ドバイ経由のウガンダ・エンテベ空港に向かう機内にいました。

 当時、頚椎(けいつい)の痛みを耐えて仕事をしていました。後縦靭帯(じんたい)骨化症という名の難病です。機内では周期的に左手の指先から腕または背中にかけて激しい痛みが襲ってきました。生汗をかき、のたうち回った5時間ほどを今でもはっきり覚えています。

 空港に無事到着し、迎えに来てくれたNGOの車に乗り込みました。ビクトリア湖のほとりのジンジャという街まで約4時間の車中、今まで経験したことのない光景を目の当たりにしました。赤く、砂ぼこりの舞う大地で人々が営みをしているのです。

 沿道沿いにはひしめくように小さな商店が立ち並んでいました。列をなすバイク、鳴り響く車のクラクション、歩いて行き交うたくさんの人たち…。とても情熱的で、活気のある風景がありました。機内での痛みを忘れたかのように、カメラのシャッターを押しまくっていました。

 ここに来たことを観光として終わらせるのか、ビジネスとして捉えていくのか。直感的に後者でした。理由は当時は分かるはずがなく、ただ何となくそう感じていました。

   ◇    ◇

 私は川口信弘(56)です。佐賀に生まれ佐賀で育ち、いま、日本から遠く離れたアフリカの大地に立っています。

 俳優の川口浩さん(故人)が隊長になって世界中のいろんなへき地に飛ぶ昭和の名番組「川口浩探検隊」シリーズが放送されていた小さい頃、名字が同じというだけでよく「隊長」と言われていました。アフリカに通うようになって、再びそう呼ばれています。

 アフリカの現状を感想も交えて発信していきますので、どうぞよろしくお願いします。

 そいぎんたあ…

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