小城市小城町の祇園橋は、清流で知られる祇園川に架かる。700年以上の歴史を刻み、町を見下ろす高台にある須賀神社の参道で、周辺の住民たちの生活道路としても親しまれている。6月になると橋の周辺でゲンジボタルが飛び交い、幻想的な風景を醸し出す。

写真を拡大 赤い欄干が目を引く祇園橋。約150段の階段を上がった高台にある須賀神社(左上)の参道として地域住民に親しまれている=小城市小城町

 全長37メートル。景観に配慮した赤い手すりが印象的で、大雨による流出などを経て1973(昭和48)年に現在の形になった。幅は4・4メートル、自動車も通れる。
 須賀神社の由緒や出来事をまとめた30(昭和5)年の資料によると、当時は橋の両端に階段があり、歩行者専用だったことが分かる。車社会の進展に伴って形状を変えてきた橋の姿は、時代の変化を映す鏡のようでもある。
 神社に残る江戸時代後期ごろの絵図には橋の姿はなく、東西を流れる川をまたぐように等間隔の飛び石が描かれている。初めて橋が架けられた時期は定かでないが、小城町史には03(明治36)年から05(同38)年にかけて山あいに造られた清水山の参道に合わせ、「十七間(約31メートル)の祇園橋を架った」との記録がある。
 参道や橋の造成は県出身の政治家らが支えた。総理大臣を2度務めた大隈重信や旧小城藩士で司法、大蔵大臣を歴任した松田正久らで、小城出身の書家・中林梧竹からも浄財を仰ぎ、総工費7800円の難工事を2年掛かりで終えた様子が町史に記されている。
 祇園川は大雨で度々、氾濫した。49(昭和24)年8月の「ジュディス台風」では祇園橋が流され、周辺の家屋の浸水や流出も相次いだ。橋のたもとにある羊羹ようかん店の社長で、小城商工会議所会頭の村岡安廣さん(73)は当時の写真を見つめ「幾多の水害を乗り越え、地域の景観や住民の暮らしを支えてきた」。形を変えながらも町の景色に溶け込んできた橋の存在に思いをはせる。
 祇園川をホタルの名所にしようと、明治時代に幼虫の放流をしていたという記録もあり「当時としては画期的なまちづくりだった」と村岡さん。先人にならい、住民と協力して川の清掃に取り組むなど自然環境を守る活動を続けてきた。
 須賀神社はかつて「祇園社」と呼ばれ、鎌倉幕府の東国御家人だった千葉胤貞たねさだが1316(正和5)年に建立したとされる。7月に開かれる例祭では地元住民たちが飾り山を引き回し、新型コロナウイルス禍の今でも市内外から多くの参拝客が訪れている。
 戦後に佐賀県から神社の管理を受け継いだ南里家の子孫で、4代目の宮司を務める昌芳さん(53)は「神社の歩みは地域とともにある。住民たちの心が安らぐ場所として後世に受け継いでいきたい」と話す。

 (文・谷口大輔、写真・鶴澤弘樹=佐賀新聞社)

 

■グルメ観光スポット 村岡総本舗羊羹資料館 =小城市小城町=

 祇園橋を挟み、須賀神社の向かい側にレンガとタイル張りの洋館がある。小城市名物の羊羹(ようかん)を製造販売する村岡総本舗の羊羹資料館で、1941(昭和16)年に砂糖倉庫として建てられた。
 資料館は1階に休憩室、2階に展示室があり、羊羹の製法をビデオや写真、パネルで紹介。時代とともに移り変わってきた道具やパッケージも飾られ、羊羹作りの歴史を伝える。

地図

 

 建設された当時は軍の携帯食や保存食として羊羹の消費が拡大。高価な砂糖を守るため防火性に優れたタイルを多用した重厚な構造になっており、97年に国の登録文化財に指定された。
 佐賀、長崎、福岡の3県にまたがる旧長崎街道は砂糖文化を広めた「シュガーロード」と呼ばれ、2020年6月に文化庁の「日本遺産」に認定された。80年前に建てられた羊羹資料館は、その構成資産の一つに選ばれている。

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