百と十.vesper

 呼子の宿&洋食屋「百と十.vesper(ベスパー)」となっている建物が唐津市呼子市民センターの近くに建てられたのは大正前期。隣家の金七谷口本店、島屋山口家とともに中町海側の最も呼子らしい景観を形成する建物で主屋、繋屋(つなぎや)、離屋(はなれや)からなる旧状を留(とど)めながら再生されています。建て主は呼子村長を務めた山下磯五郎(1863~1930年)。屋号は万十屋でした。

 山下家には江戸時代初期から先方(さきかた)の八幡神社の下に住み、近くには山下川と呼ばれる水場があったという言い伝えがあります。

 「昭和風土記」によれば磯五郎の父は彌左衛門といって呼子の最初の鮮魚市場を開き、干魚問屋業をはじめ貿易業を行なった人物。山下一族の総本家で呼子町屈指の素封家と書かれています。磯五郎は伍光社や金融機関を創設。中尾家率いる捕鯨が終末期を迎えた後、磯五郎は1888(明治21)年、小川島捕鯨株式会社を創設した16人のうちの1人として古式捕鯨から近代捕鯨への変遷期を支えました。

 1914(大正3)年、二丈田中の大地主・満生(みついき)家から磯五郎の長女サキの婿養子に入ったのが民助です。民助は昭和恐慌のただ中に海産物問屋を継ぎ、1931(昭和6)年には唐津物産株式会社を創設しました。大羽鰯〆粕(おおばいわししめかす)、養鶏飼料、鯨油、重油などを扱い、小川島捕鯨株式会社社長も兼任しました。

 この万十屋が解体されると聞いて建物を引き継いだのは林康紀さん(49)。海の見えるデッキ越しに船のエンジン音を聴けば、船に乗っているような心地になる空間によみがえりました。

文・菊池典子

絵・菊池郁夫

(NPOからつヘリテージ機構)