海から見ると、伊万里湾奥の突き当たりにある腰岳

黒曜石を素材にした石器づくりの実演=伊万里市民図書館

腰岳産黒曜石の調査成果を説明する芝康次郎氏=伊万里市民図書館

腰岳の中腹で確認された大量の黒曜石=伊万里市

 旧石器~縄文時代、石器の素材となる黒曜石の一大原産地だった伊万里市の腰岳(標高488メートル)をテーマにしたシンポジウムが9、10日に市民図書館で開かれた。2014年から実地調査を行う研究グループが催し、腰岳の歴史的価値について議論したほか、一般の人に分かりやすく解説する市民向け講座があった。文化庁文化財調査官の芝康次郎氏による講演の要旨を紹介する。(青木宏文)

 【講演要旨】

 腰岳がなぜ歴史研究にとって重要なのか。黒曜石には個性があり、産地によって成分が異なるからだ。遺跡から出土した黒曜石(石器)を分析すれば産地が分かり、そこから導かれる石の動きが、人の移動や交流の在り方を知る手掛かりになる。腰岳は九州随一の原産地で、石器が九州全域と本州の西側、沖縄、朝鮮半島で出土している。

 腰岳の学術研究は1950年ごろに始まり、61年に明治大学による発掘調査で石器製作の跡を確認した。その後、市が開発に伴う調査をして30万点以上の石器が見つかっている。これらの遺跡は旧石器~縄文時代のもので、北側の麓を中心に複数存在していた。

 私たちの研究グループは山の全体像をつかもうと、標高400メートルから200メートルまでを50メートル間隔で等高線に沿って歩いて調べた。すると、標高400~420メートルに黒曜石の露頭(地層や岩石が露出している場所)があり、遺跡は山全体にわたってたくさんあることが新たに分かった。

 ただ、今回の調査は表面観察によるもので、遺跡の正確な年代や性格は発掘調査をしてみないとよく分からない。今後、機会があれば発掘したい。

 現生人類が日本列島にやってきたのは3万8千年前。それから約3千年の間に日本のほぼ全ての黒曜石産地を見つけ出している。腰岳の黒曜石も熊本県の曲野(まがの)遺跡の石器などから、3万5千年前には使われていたことが分かっている。

 旧石器時代の黒曜石は主に槍(やり)先やナイフとして利用され、腰岳の黒曜石で作られた石器は2万5千年前に鹿児島や山口、1万5千年前には広島や韓国まで運ばれている。

 縄文時代になると分布はさらに広がり、3~4千年前の縄文後・晩期には沖縄や韓国まで大量に届いている。この時代、黒曜石は銛(もり)先など漁にも使われ、海沿いの遺跡から腰岳産が多数出土していることから、海の民が運んだと想像できる。

 腰岳黒曜石がなぜこれほど広く利用されたのか。石材の質が非常に良かったのが要因の一つだろう。透明度が高く鋭利に割れて、石器に適していた。もう一つは立地が良かった。海に近くて陸からもアクセスしやすく、容易に運び出すことができた。外洋から船で入れば伊万里湾奥の突き当たりにある円錐(えんすい)形の山容は、ランドマークとしての役割を果たした。

 腰岳の黒曜石は弥生時代に金属の利用が始まるまでの3万3千年間、石器の材料として使われ、人々の生活と文化を支えてきた。磁器の原料として400年前から使われた白い石と同じように、黒い石を地域の宝、日本の宝として、市民の皆さんと共に末永く守っていければと思っている。

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