2018年の豪雨被災前の水門=基山町小倉

 基肄(きい)(椽)城のあらましについて紹介すると、城門跡は次の4カ所が推定される。一つ目は「水門・南門」。南の開口部石塁には、住吉川(筒川)の谷水を流すための水門、およびその東に南門があったと思われる。水門は2018年7月の豪雨により破損した。

 二つ目は「東南門」。水門・南門の東の谷(仏谷)にあり長さ15メートル、高さ4・2メートル、幅4メートルの石塁が残る。三つ目は「東北門」。城の東北部、西峰と東峰を結ぶ鞍部を高さ3メートル、幅6メートルを切って造られ、近世では南門から東北門を通って、萩原(現筑紫野市)へ向かう近道「萩原越え」として利用された。四つ目が「北帝門(北御門)」。基山の北峰(414・13メートル)の東、大宰府政庁の正面にあたる北帝に土塁4メートルほどを切り通して造られている。

 東峰の「つつみ跡」は、東峰の頂上付近にある直径約8メートルの窪地で、貯水池または烽火(のろし)跡といわれる。基山山頂近くにも同様の地形が見られる。また、「鐘撞跡(カネツキ堂)」があり、城内を一望できるこの地には「カネツキ」という地名が残されている。寺院や鐘楼などの施設があったものと思われるほか、情報伝達施設が設置されていたのではないか、との説もある。

 (地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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