蒸気機関車が高輪築堤を走る当時の様子を描いた三代広重の「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」(港区提供)

 日本初の鉄道が開業した際に造られた「高輪築堤(たかなわちくてい)」の遺構が、国の史跡に指定されることが決まった。佐賀の七賢人の一人、大隈重信(1838~1922年)の「陸(おか)蒸気を海に通せ」の掛け声で実現した経緯があり、佐賀県にとっても注目すべき遺構だ。

 昨年12月の遺構発見から史跡指定まで、わずか8カ月余りという異例のスピード。高輪ゲートウェイ駅を軸にした大型再開発に伴う発見で、工事を遅らせられないという事情があったにせよ、この遺構の重要性の表れだろう。文化審議会も「交通の近代化や、それに用いられた土木技術等の歴史を知る上で重要」と高く評価した。

 早くも5月の段階で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内組織である日本イコモス国内委員会が「世界文化遺産として国際社会が評価する可能性もある」と見解を表明。さらに、鉄道史学会や都市史学会なども合同で「東アジア初の鉄道遺構が奇跡的にほぼ完全な形で残っている点でも、世界文化遺産級の文化財である」とした。

 確かに、出土した遺構を、歌川広重(三代)が描いた錦絵「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」と見比べてみると、当時のままの姿をとどめているのが分かる。洋装と和装が混在する人々の脇を、誇らしげに走って行く蒸気機関車はまさに文明開化の象徴だ。

 史跡に指定されたとはいえ、文化財保存の点からは課題も浮かび上がってきた。日本イコモスや日本考古学協会などが求めていたのは「全面保存」だったが、史跡に指定される範囲は出土した約800メートルのうち、わずか約120メートルだけの「部分保存」だからだ。

 では、消えゆく遺構をどう救うのか。佐賀県が打ち出したプランが、一つの解決策を示しているようだ。取り壊される部分から礎石を佐賀県へ移した上で、一部を復元しようという計画である。

 具体的には、佐賀市の県立美術館・博物館の敷地に10メートルほどを復元。さらに、大隈重信記念館と、唐津市の早稲田佐賀中高にも礎石を展示するという。

 取り壊される文化財の有効な活用策として評価していい。いささか唐突に聞こえるかもしれないが、「ベルリンの壁」が思い出される。東西ドイツの分断の象徴だった壁は崩壊後、世界各地で展示されている。日本でも沖縄県などに移設され、冷戦時代を伝える役割を担っている。

 考えてみれば、海に鉄道を通すという大隈の決断は、用地買収が難航し、やむなく編み出したウルトラCだった。やがて鉄道の時代が来るという確信と、困難にもあきらめない志が、海辺に鉄道を走らせる案に結びついた。

 県内移設後、地域の文化資源としてどう活用していくのか。さまざまな切り口からの教育プログラムが考えられる。大隈のような柔軟な発想力がほしい。(古賀史生)

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