かつては「有田皿山」の町名であった、内山地区周辺の景観

 早いもので、平成18(2006)年3月に旧有田町と旧西有田町が合併して、今年で15年が経過した。この有田の地は、藩政時代以前には有田郷と称され、現在は伊万里市域である、二里町までが範囲であった。

 明治4(1871)年の廃藩置県当時には、現在の有田町域は、「有田皿山」、「新村」、「曲川村」、「大木村」、「山谷村」に分かれていた。その後、明治21(1888)年4月の「町村制」の公布により、法律的には「有田皿山」は町、その他は村となったが、「有田皿山」は全国的にも極めてまれな、町名に「町」が付かない町だったのである。

 一般的に「有田皿山」と言えば、有田の中でも、窯業地だった地域かのイメージがある。しかし実際には、「新村」にも黒牟田山や応法山などの窯業地があり、同様に「曲川村」には南川原山、「大木村」には広瀬山があった。つまり、単純に有田の中の窯業地だった場所ということではない。

 現在では正式な地域区分ではないものの、町内ではごく日常的に通用する区分に、「内山」、「外山」がある。実は、この「内山」の範囲が後の「有田皿山」の町域であり、「外山」は他の有田の窯業地と、同じく佐賀本藩領であった、伊万里市の大川内山や市ノ瀬山などを加えた範囲のことである。

 ところが、この「有田皿山」も、翌明治22(1889)年4月には「有田町」に改称されており、わずか1年ほどしか続かなかった幻の町名なのである。

 (有田町歴史民俗資料館長・村上伸之)

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