ゲストハウス「hagakure(はがくれ)」の壁画を制作したミヤザキケンスケさん=佐賀市神野東

 「スーパーハッピー」をテーマに、原色を使った明るい絵を描く画家のミヤザキケンスケさん(38)=佐賀市出身=は、ライブペイントやワークショップ、壁画を描いて国内外で活動している。フィリピンやケニア、東ティモールで壁画を描き、絵で国や文化の壁を超えてきたミヤザキさんに、絵描きとして歩んだ道のりを聞いた。

 

高校生で海外へ

高校時代のベルギーのスケッチ(1996年)

 中学時代、高校受験が迫ったミヤザキさんは焦っていた。打ち込んだサッカーは小学生からの経験者に埋まらない差を感じ、勉強にも自信がない。周りがスポーツ推薦や学力で高校を決める中、自分に秀でたものを考えていた。小学生のころ、ポスターコンクールで県知事賞を取っていて、「絵」はまだ突き詰めていない分野だった。サラリーマンになる気もなく、平凡から抜け出すためにも、佐賀北高芸術コースの門をたたく。
 入ったはいいが、同級生の絵や5年上で同校を卒業した画家・池田学さん=多久市出身=の高校時代の絵に比べると自信が持てなかった。それでも絵は自分で決めた道。大学受験が迫ると、絵描きになるのを初めて意識し、絵で成功するにはパリの大学に行くしかないと考えた。「自分でもバカだったと思います」と苦笑いのミヤザキさん。親はフランス行きをもちろん却下。それでも芸術の都へ旅立つ気でいる息子のため、とりあえずベルギーに住むいとこのもとへ行かせることにした。
 高3前の春休み、ベルギーの首都、ブリュッセルで2週間を過ごした。自信がなく、これまで絵を見せるのをどこか恥ずかしいと思ってきたが、ヨーロッパらしいレンガ造りの街並みをスケッチし、道端で販売した。道行く人からジロジロ見られて嫌だったが、「絵描きになるための一回きりのチャンス。がんばれ!」と自分を鼓舞した。
 いとこの家ではミヤザキさん以外あまり日本語が話せず、家族とぎくしゃくしていた。帰国の2日前、描きためた絵を家族に見せると感銘を受けた様子で、つたない英語で懸命に絵の説明をすると熱心に聞いてくれた。「絵でコミュニケーションが取れた」。初めて絵で人から認められたような感覚。帰国後、自分の絵を恥ずかしいとは思わなくなった。

壁画の前で笑顔を見せるケニアの子どもたち(2006年)

 

人のために描く喜び

ケニアで子どもたちと記念撮影するミヤザキさん(2006年)

 大学は筑波大芸術専門学群へ。東京藝術大への進学は厳しいという現実的な判断と、名門大学で美術を専攻するという王道とは違う道への挑戦だった。大学院まで進み、在学中に出演した恋愛番組「あいのり」の関連でフィリピンの孤児院を訪れた。
 絵はいつも自分のために描いてきたが、子どもたちのために何かできないかと考え、孤児院の高さ2メートル、幅6メートルほどの壁に一晩で絵を描いた。ヤシの木やセブ島を描いて表現した、フィリピンから日本へ向かうドラゴンの絵。背中には子どもたちが乗っていて、「いつか日本に行ってみたい」という子どもの夢を絵でかなえた。壁画を見た子どもたちの笑顔を見た時、「これのためなら頑張れる」と、人のために描く喜びを知った。
 大学院卒業後、ワーキングホリデーでイギリスのロンドンへ。ホテルに住み込みで働いたり、学校で美術講師をしたり職を転々としながら絵を描き続けた。収入は月10万円ほど。安アパートでポテトだけを食べて過ごすことも。インターネットで絵の受注も始め、わずかながら生活費の足しにした。
 ロンドンで約2年を過ごしたころ、ケニアの極貧層の小学校がテレビに流れた。ボロボロのトタン家やごみをあさって生活する子どもたちを見て、壁画を描いて元気にできないかと考えた。ライブペイントやネットで資金を集め、スポンサーも見つけて2006年、ケニアのキベラスラムにあるマゴソスクールへ向かった。現地に定住しながら支援活動する早川千晶さんの協力で学校に到着したが、そこからは一人きり。突如現れた日本人に周囲から怪しまれたが、フィリピンの経験を生かしドラゴンを描いた。喜ばれると思いきや、「子どもたちは架空の生き物を知らず、アナコンダだと思ったみたいで」とミヤザキさん。怖がった子どもが不登校になる事態に。学校関係者からますます厳しい視線が注がれた。
 ミヤザキさんはドラゴンを消した。明るい絵にしようと現地の電車やバオバブの木などを子どもたちと一緒に描いた。自分の絵に他人の手が入るのはあり得ないと思ってきたが、壁は公共物。自分の好きなものを描くだけでなく、そこで暮らす人の生活に溶け込むものがベストだと感じた。

フィリピンのドラゴンの壁画(2004年)

 

「Over The Wall」始動

 日本に帰国し、個展を開いた。イギリスとケニアを経て満を持しての開催。絵は国内外で高く評価され、個展には連日大勢の客が押し寄せた-という筋書きはすぐさま崩れた。絵は全く売れず、大学の後輩の家に転がり込んだ。30歳手前、いまだ何者にもなれていない自分への焦りと将来への不安に襲われた。ずっと後輩の家にいる訳にもいかず、佐賀に帰ることにした。
 年の暮れ。後輩と寂しくお酒を飲んでいると電話が鳴った。個展を見たというNHKの関係者からで、新番組「熱中時間」の美術セットに絵を描いてほしいという。それから巨大なセットに絵を描き、その後3年間、毎週ゲストの似顔絵を描き続けた。
 番組終了後、以前訪れたケニアの学校から依頼を受けて再び壁画を描きに行き、翌年に東日本大震災が発生すると帰国。被災地で子どもたちに絵のワークショップを開いたり、仮設住宅に壁画を描いたりした。2015年、ケニアの学校が火事にあったので再び現地へ行き、新しく築かれた壁に絵を描いた。
 「ケニアだけで終わらせたくない」-そんな意識も芽生え始めた。昨年、東ティモールで壁画を描き、毎年海外で壁画を描くプロジェクト「Over The Wall(オーバー・ザ・ウォール)」の第1回とした。今夏には、日本と国交25周年のウクライナに行き、絵を通して言葉や文化の壁を超える。

東ティモールで描いた壁画

 

子育てとの両立

 現在、1児のパパのミヤザキさん。ロンドンで武者修行中、海外旅行に来ていた韓国人の女性と出会い、2012年に結ばれた。壁画プロジェクトで活動の柱ができ、毎週催すライブペイントやワークショップ、オーダーメイドの絵の受注で収入が安定したため結婚に踏み出せた。
 共働きで、ミヤザキさんが朝ご飯を作り、1歳半の娘を保育園に送迎する。今夏、第2子が生まれる予定。「絵もプロジェクトも子育ても、全部できたら最強になれる。いかに両立させるかが今の楽しみ」と笑顔で先を見据えた。

 

クリエイターを目指すみなさんへ

「何か作りたい」という意志は、ものすごく強い「生きる力」。作ることはみんなができることじゃない。そこに喜びを感じ、お金になってもならなくても、人生を豊かにしてくれていると思ってほしい。

 

動画

4月、佐賀市神野東のゲストハウス「HAGAKURE(はがくれ)」で開いた壁画ワークショップの様子を紹介

★クリエイターズカフェとは

佐賀県出身、または佐賀で活躍しているクリエイターを紹介していきます。(カフェ=人が集まる場、情報交換のできる場所。Visitor(ナンバリング)=訪問者、客。)

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