内閣総理大臣だった大隈重信が寄付した青銅鏡。大正四年六月吉日と刻まれ、日本と周辺の関東州(中国)、朝鮮、台湾まで含めた地図を描いている

大隈重信が青銅鏡を寄付したことを記録した田島神社の宝物台帳

海に面して鳥居が建つ田島神社=唐津市呼子町加部島

田島神社に当時の総理大臣だった大隈重信が寄付した青銅鏡と平野良興宮司=唐津市呼子町加部島

 唐津市呼子町加部島の田島神社に、大隈重信(1838~1922年)が2度目の総理大臣在任中の1915(大正4)年に制作して寄贈したとみられる青銅鏡が、祓殿(はらいでん)に飾られている。長らく本殿に保管されていたが、今年が大隈の没後100回忌に当たることから、拝観できるように移した。平野良興(よしおき)宮司(81)は「お参りしていただくことで、鏡としての価値が出てくる」と話している。

 青銅鏡は直径約60センチ。裏に「奉献 国幣中社田島神社 大正四年六月吉日 内閣総理大臣 正二位勲等 伯爵 大隈重信」と日本地図が刻まれている。地図は日本全土と関東州(中国遼東半島にあった日本の租借地)、朝鮮、台湾も表している。

 田島神社の宝物・貴重品台帳によると、登録日は大正6年12月11日と記載され、青銅の神鏡1面、作者伝来には「侯爵 大隈重信寄付」とある。形状は、円形で直径2尺、裏に日本全土と関東州、寄付者名と年月日の「彫刻アリ」と書かれ、青銅鏡とほぼ一致している。

 平野宮司は先代宮司の父から聞いて青銅鏡が本殿に保管されていることは把握していた。100回忌を機に青銅鏡の存在を思い出して運び出した。表面が真っ黒くさびていたため、氏子の責任役員の一人が磨き上げ、光る銅鏡が復活した。6月から祓殿に飾っている。

 神社の一番奥に位置する本殿は年中行事のうち、正月、節分祭、夏越祭(7月)、例祭(9月)の年4回しか格子戸を開けての神事は行わないため、青銅鏡の存在はあまり知られていなかったという。1983(昭和58)年11月の「町報よぶこ」には、呼子歴史散歩で田島神社に触れたコーナーで、大隈が大型の青銅鏡を副神鏡として奉献したことを触れている。

 平野宮司は「戦前の金属類の没収で銅像はなくなったが、この青銅鏡は隠していたのかどうかは分からないが残っていた。鏡としては大きく、磨いたら立派だった。地図まで刻まれ、びっくりした」と語る。

 佐賀市の大隈重信記念館で学芸員を務めた曲田裕美さんは、大隈と田島神社の関係を示す資料は見当たらないものの、私見として「2度目の総理大臣に就任したのが大正3年4月で、鏡が奉納された大正4年という時期と鏡の裏面に描かれた日本地図から、政界に戻った大隈の意欲を表すものではないか」と推測する。(辻村圭介)

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