東京五輪が8日、17日間にわたる熱戦の幕を閉じた。新型コロナウイルスの感染が収まらず、大会期間中、緊急事態宣言が東京から隣県にも拡大される中で開かれた異例のオリンピック。リスクを冒してまで開いた意義はあったのだろうか。意見は分かれると思うが、自国開催という地の利を生かし、日本は過去最多の金メダルを獲得した。「コロナに打ち勝った証し」とまではいかなくても、見る人を元気づけてくれた。開催の意義はあったと考えたいし、とにかく今は無事に五輪を終えられたことを喜びたい。そして、五輪開催の収益が少しでも出るのならば、コロナワクチンの取り組みが進んでいない発展途上国に役立ててもらおう。

 多くの人が五輪に関わっているが、誰のための大会かといえば、それはやはり、選手のためだろう。4年に一度の五輪は、誰もがチャンスに恵まれるわけではない。アスリートの多くが「一生に一度」と思って五輪の舞台を目指し、運よく出場切符をつかんだら、世界の頂点を目指してさらに鍛錬を重ねる。時間は誰にでも平等といわれるが、五輪にかけるアスリートたちの時間は、私たち一般人が過ごす時間とは比べようがないくらいに濃く、重い。コロナ禍とはいえ、夢の舞台を簡単に中止にしてはいけないと感じていた。

 もちろん、医療従事者の過酷な状況を軽視しているわけではない。命が当然、最優先だ。ただ、この1年の蓄積、経験が増えた分、昨年までとは状況が違うように思う。結果論かもしれないが、コロナ禍でも五輪を開催できる力があるからこそ、2020年の五輪開催地が東京になったのではないか、とも思えるのである。誰もが経験したことのない事態。完ぺきにいくはずはないが、大会組織委員会をはじめ、関係者はそれぞれの場面で最善を尽くしてきたと思う。コロナの感染拡大は五輪による気の緩みだけが理由ではないだろう。奮闘する選手の姿に、テレビの画面越しでも「自分も頑張ろう」と感じた人はいるはず。観念的かもしれないが、スポーツには人の心を動かす力がある。

 秋までに予定される衆院選に向け、五輪が政権浮揚の道具にされるという見方もあったが、東京五輪が無事に終わったからといって、菅政権の支持率がV字回復するとは思えない。

 五輪にはさまざまな差異を超え、互いを結びつける力がある。東京五輪の参加国数は200を超えた。世界の広さを実感し、平和を保つには「相互理解による協調」が必要だと、改めて考えさせられた。また、コロナで予定通りにはいかなかったにせよ、3人制バスケットボールのセルビア選手団が唐津市で事前キャンプをしたように、各地で何らかの縁ができた。この縁を大切にしたい。

 佐賀県関係の選手も多数出場し、各競技でたくさんのドラマがあった。結果を残した選手の喜びの涙にはもちろん、最後まで諦めず、敗れた悔し涙にも学ぶべきものが多かった。熱戦の感動は新たな夢や目標となって次世代に受け継がれる。「心のレガシー(遺産)」も開催意義の一つだ。東京五輪でもらった元気と勇気を力に変え、私たちもきょうから再び、結束してコロナに立ち向かおう。(中島義彦)