戦後76年、今年も鎮魂の夏が巡ってくる。あす8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日。そして、15日の終戦記念日-。この季節になると毎年、佐賀新聞の投稿欄「ひろば」にも、戦中世代から貴重な体験談が寄せられる。

 鹿島市の嘉村龍夫さん(95)の「特攻隊員の麻袋」(7月11日付)は、鹿児島県の航空隊での出来事。体育館に山のように積まれた麻袋。「この麻袋は特攻で戦死をした兵隊の遺品である。1個ずつ中を開いて品数、品名を記録し、出身地別に整理してもらいたい」と上司から命じられる。

 白石町の小栁信也さん(85)の「こけむした墓石」(7月15日付)は、身近な寺で見かけた墓石にまつわる物語。戦況が悪化する中、その墓石に刻まれた海軍少将は息子にだけ、「靖国神社に会いに来なさい」と自らの覚悟を打ち明ける。妻には心配をかけまいと思ったのだろう、「陸上勤務になる」と伝え、自らの艦とともに沈んでいったという。

 佐賀市で開催中の「相田みつを全貌展~みつをが遺したもの」にも、戦争をテーマにした一角がある。“いのちの詩人”と呼ばれる書家で詩人の相田みつを(1924~1991年)は、「ひぐらしの声」と題した作品を残した。

 「ああ 今年も ひぐらしが鳴き出した/ひぐらしの声は 若くして戦争で死んだ 二人のあんちゃんの声だ」

 みつをは旧制中学時代、2人の兄を戦争で失った。その悲しみをひぐらしの「カナカナカナカナ」という、うら寂しい鳴き声に重ねている。詩はこう続く。

 「そして 二人のあんちゃんの名を 死ぬまで呼び続けていた 悲しい母の声だ」

 「そしてまた 二人のあんちゃんのことには ひとこともふれず だまって死んでいった さびしい父の声だ」

 母親は、2人の遺影に語りかけていたという。2人の名を呼び続けた母と、その声を耳にしながらも黙り込むしかなかった父。その姿は対照的だが、どれほど深い悲しみだったかが胸に迫る。

 そしてまた、先立つ息子も父と母に心を残していた。みつをの兄は中国で戦死したが、最期の言葉を友人が手紙で伝えている。

 「自分が死ぬと、その知らせが日本へゆくな。おふくろやおやじ、弟達が、それを聞いてどんなに嘆くことか。いま、死んでゆく自分にとって、そのことが一番辛い」と。

 あの時代、日本の各地に同じような無念を背負わされた母がおり、父がいた。心を残しながら遠い戦地で散っていった若者たちが、どれほどいたことだろう。

 「ひぐらしの声」の正面に立つと、文字が細かくゆらぎ、まるで泣いているようだ。生涯をかけて、生きることの意味に向き合い、いのちの詩人と呼ばれるようになった相田みつをの、これが原点なのだと思えてくる。

 戦後76年の時の流れとともに、戦争体験者の声はますます遠ざかりつつある。あの戦争で何があったのか。“ひぐらしの声”に耳を傾ける夏にしたい。(古賀史生)

 ■「相田みつを全貌展~みつをが遺したもの」は8月22日まで、佐賀市の県立美術館で開催中。

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