阿弥陀山の麓の国泰寺集落。左の森が国泰寺跡

 鳥栖市神辺は「こうのえ」と読む変わった地名です。意味は「神戸(こうべ)」と同じで、神社の荘園だったことに由来します。事実、古くから太宰府天満宮の荘園でした。

 荘園になる以前の古代条里制の地名は「四の坪、五反田」など数字地名のほか「横枕(よこまくら)」という面白い地名もあります。これは正方形に区画する条里制の田んぼで、どうしても余分が出てしまい横長となった場所に付けられた地名です。この場所は区画作業に立ち会った人に手当として与えられています。鳥栖市内にも数カ所あります。

 神辺には徳昌(とくしょう)寺、西念(さいねん)寺という寺がありますが、「国泰寺(こくたいじ)」という集落もあって、集落内にはお寺が今もあり、現在は「聖観(しょうかん)寺」と呼ばれています。国泰寺は室町時代、足利尊氏が全国につくらせた寺で、神辺では明治時代中期まで存在していたと記録にあります。(『鳥栖市誌第5巻』参考)(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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