米国を破って13年ぶりの金メダルを獲得し、上野を中心に抱き合って喜ぶ日本ナイン=横浜スタジアム

 佐賀女子高出身で、投打の“二刀流”で東京五輪を戦ったソフトボール日本代表の藤田倭(やまと)選手(30)が27日、高校時代指導を受けた亡き恩師との約束を果たした。「感謝の心と謙虚な気持ちを忘れない」。この言葉を胸に競技に打ち込み、一番輝くメダルを手にした。

 「先生の気持ちも背負って、東京五輪で誰よりも輝きます」-。2017年4月、佐賀女子高ソフトボール部元監督の久保田昭さん(享年72)=佐賀市=のお別れの会。実業団チームで活躍していた藤田選手は群馬県から駆け付け、涙を浮かべて弔辞を読んだ。「倭が活躍するのが俺の生きがい」。闘病中、見舞いに訪れると、やせ細った久保田さんからこう言葉をかけられたこともあった。

 佐世保市の中学時代から投手として注目を集めていた藤田選手を久保田さんが呼び寄せた。全国高校総体で優勝するなど佐賀女子高を全国屈指の強豪に育てた名将は、その才能を見抜いていた。「この子は違う」。佐賀市内の自宅に下宿させ、厳しく鍛えた。

 期待に応えるように、藤田選手はエースとしてチームをけん引。100キロを超える速球を武器に1年の全国総体で優勝し、2、3年時は国体県選抜のエースとして2連覇に貢献した。卒業後は実業団の太陽誘電に入団し、国内トップレベルの世界に踏み出した。

 だが、投手としての自信はすぐに崩れた。自慢のストレートは速くても、甘く入れば確実に打ち返される。入団1年目はほとんど登板機会に恵まれず、起用は代打ばかり。「投手として見てもらえず悔しかった」。悩みを抱え、久保田さんを訪ねたこともあった。

 投手への思い入れは強く、ドロップやライズ、チェンジアップなど多彩な球種を習得し、制球力を磨いた。2年目に中継ぎ、抑えで結果を出し、初めて先発。この年に初勝利を挙げると、3年目にはエースとして6勝を上げた。打撃も磨き続け、16年には日本リーグで最多勝と本塁打王、打点王の三冠を獲得し、投打の“二刀流”で代表を引っ張る存在に成長した。

 ソフトボールが3大会ぶりに五輪競技に復活し、教え子が東京五輪の主力として注目される存在になった時、久保田さんは肺がんを患っていた。「夫は闘病中も倭のことをずっと気にかけていました。『東京五輪に出る2020年まで生きたい』って…」。妻の英子さん(71)は明かす。

 久保田さんの思いも背負って、決勝の舞台に立った藤田選手。1-0で迎えた五回、鋭いスイングでタイムリーを放ち、日本の勝利の立役者になった。「何も言わなくても(久保田さんは)きっといろんなことを感じ取ってくれていると思う」。表彰台で天国の恩師に向けて、金メダルを高く掲げた。(東京五輪担当・山口源貴)

 
このエントリーをはてなブックマークに追加