有明抄や論説の執筆をを担当し、「職場復帰できてよかった」と話す中島義彦論説委員=佐賀新聞社

 脳出血の休職から佐賀新聞社に職場復帰して半年後の2017年4月、「私」は人事異動で営業局から古巣の編集局に戻り、記者への取材手配やデスク業務をこなした。営業局に比べると電話をとる機会が増えた。こちらからかけるのはスマホにイヤホンをつけるため問題ないが、かかってくる場合はイヤホンを使えない普通の受話器のため、メモを取れない。こちらからかけ直すことにするが、それでも相手の連絡先をメモしなければならず、かなり苦労した。新人時代と同じように、一時期は電話をとるのが不安でたまらなかった。

 さまざまなハンディはあるが、足が遅ければ早めに動き出すなど知恵と工夫で乗り切れる。電話も、イヤホンを差し込めるPHSを使うことで解決した。それでも困った時は周囲に頼む。できないこと、頑張っても時間がかかることを恥ずかしがる必要はないと割りきれるようになった。

 障害は不便だが、決して不幸ではない。障害があることで生きていけない社会が不幸だと思う。

 「焦らず慌てず諦めず」と自分に言い聞かせながらの日々。少しずつ職場に慣れ、少しは役に立っているのではないかという自信も出てきた。とはいえ、「迷惑をかけているかも」という負い目はぬぐえないし、「健常だったらもっとできるのに」というもどかしさも消えない。それでも、働ける喜びは大きい。障害者が運転していることを示す「クローバーマーク」をつけた車で通勤しながら、車内で聞くラジオ番組に、倒れる前の日常が戻ってきたことを実感する。働いているからこそ、休日のありがたさも感じる。

 昨春の異動で論説委員会に移り、有明抄を担当する一人となった。難しい仕事だが、やりがいは大きく、復職できて本当によかった。

 倒れてからこれまでの6年は長いようで短かった。佐賀市の佐賀県医療センター好生館から小城市内の病院に転院し、回復期病棟で過ごした時期が最もきつかったが、時間が薬となり、今は笑って振り返られる。全ての時間に無駄はないと思えるようになった。怠けているように見える時間も、再び歩き出すために必要な休息だったりする。

 もう一つ、「頑張ること」と「無理すること」は違う、とも思う。自分を過信せず、仕事が忙しい時、何かおかしいと感じた時は無理をせず、自省と自制を心がけたい。(佐賀新聞社論説委員)

=おわり

 

 

連載を終えて

 

 連載を始めた頃、たまたま話した人と、「私の家族も以前、脳出血で倒れた」という話になった。読者からいただいた手紙の一つには、友人がくも膜下出血で命を落としたことが触れられ、「脳出血は誰がいつなってもおかしくない病。人の命ほど分からないものはない」と書かれていた。

 健康も信用も積み重ねが大事だが、身につける大変さに比べ、失うのは簡単。その意味で、知人から「夫に連載を見せて、健康に気をつけてもらうようにする」という一文をSNSでもらった時はうれしかった。伝えたかったことの一つが「ほんの少し自分に優しくなるだけでいい」ということだったから。

 私は倒れて以来、周りに支えられてばかり。でも、たまには支える側に回りたい。復帰後の目標でもあったこの連載が、脳卒中からの社会復帰を目指す人たちへ何らかのヒントになれば幸いである。

このエントリーをはてなブックマークに追加