絵唐津片口
(器高8.7センチ、口径12.5センチ、高台径5.7センチ 桃山~江戸初期)

撮影・村多正俊

昼時の蕎麦(そば)屋が好きだ。できれば平日の午後1時半ぐらいが好ましい。ふらりと入店し「あの席良いなぁ」と思うところに店員さんに誘われたら最高の昼酒スタートと相成る。蕎麦前を2、3種と純米酒…そんなお酒が小ぶりの片口で供されたなら、それはうれしいものだ。「このお店、わかっているなぁ」と思いながら、バッグに忍ばせた古唐津の盃(さかずき)をおもむろに取り出す。お酒を透して見込を確かめつつ盃に注ぐ…こんな風に「決まる」と日頃の憂さもスッキリする。

見込(左)と高台 撮影・村多正俊

 片口は本来、油や醤油(しょうゆ)などを大きな樽(たる)から小口の壺(つぼ)などに移す器。酒器をして生まれたものではない。古唐津では口径が20センチを超えるものから6センチ弱ものまで数多く生産された。今も窯跡を歩くとそこかしこに“くちばし”と言われる片口の注ぎ口の陶片を見つけることができる。

 酒器として片口、それはそれは扱いやすいものだ。お酒を注ぐだけでよく、使用後はざっ、と洗い流すだけ。徳利(とっくり)のように注意深くお酒を淹(い)れたり、使用後に乾燥させたりといった手間が一切要らない。佇(たたず)まいもまんまるとして、なんともかわいらしい。

 過日の旧小林秀雄邸、通称“山の上の家”での白洲信哉さん、勝見充男師匠との本紙連載、斑(まだら)唐津鼎談(ていだん)。ふっ、と師匠が「そういえば片口を酒器として初めて使った、というか見立てたのは秦秀雄さんかも」と仰(おっしゃ)った。私は「なるほど」と即座に腹落ちした。片口は茶席では香物入であったり、口を欠いて茶碗(わん)としたりと出番はそう多いものではなかった。昭和も半ばを過ぎ、人々の生活に器を愉(たの)しむゆとりが生まれた。そんな時代に古きものの、用に適う愉しみ方を発信していたのが古美術評論家の秦秀雄さんだ。そんな秦さんが「片口を酒器として見立てた」ということが妙に合点がいったのだ。

 秦さんが足しげく通っておられたお蕎麦屋さんの“三城(さんじろ)”。元々は長野県松本市に店があり、その後、東京都千代田区二番町へ移転(現在は松本市に移転)した。二番町の三城は白洲次郎さんをはじめ、今でいうインフルエンサーたちが集うお店であったよう。同店では当時も、そして今も常温のお酒を小ぶりの片口で供している。「秦さんのお勧めがあって、お酒を片口で供するようになったんです」と当時、娘のようにかわいがられていた現店主、柳澤衣美さんは語ってくれた。同店に集ったインフルエンサーたちが酒器に見立てた片口を使うことを広め、その需要に作陶家たちが応え、片口は酒器の定番と相成った…この推察はかなり精度が高いのでは、なんて思っている。

 さて片口がここに一つ。今春やってきた松浦系の絵唐津で阿房谷(あぼんたに)の産のように思われる。その酒キレや容量、手持ちの具合が心地よい。梅雨の晴れ間を仰ぎながら、これで早い時間からはじめる。陶友と酌み交わすことを想い描く昼酒の酔いは長引く世情のもやもやを忘れさせてくれる。


むらた・まさとし 1966年、東京都町田市生まれ。ポニーキャニオン・エリアアライアンス部長として、地域活性化事業をプロデュース。古唐津研究交流会所属。世田谷区在住。

解説

 今回は本題の盃からそれて、酒器として定番となった片口をとりあげました。本紙でも書いた通り、片口は本来、樽や甕から小口の器に油など液体を移したり計量するための雑器であり、酒器としては昭和の時代に見立てられたものと考えられています。桃山時代から江戸前期に稼働していた唐津系陶器を産していた窯では形や大きさは違えど、どこの窯でも片口は焼成されており、瀬戸をはじめとする他の窯業地と比較して生産総量はおそらく唐津が一番であったように思われます。

 本来の用から「見立ての酒器」となった片口。お酒に目をやりながら盃に注ぐ、というのは呑兵衛さんにはたまらないものだと思いますし、器としてのフォルムもとてもかわいらしいものです。それと…なんといっても扱いが楽!(かくなる私も、徳利の後片付けが面倒になり“片口派”にシフトチェンジ済み)。そんなこともあってか古唐津の片口は人気があります。口径11~13センチぐらいでダメージが少なく、注ぐ際のお酒のキレが良いモノにはなかなか出会えることができません。(古唐津を好きになって20年ほどになりますがジャストサイズは1年に多くて1回ぐらい…斑唐津の独酌サイズ片口には一度しか出会ったことがありません)。ここで大事なことが一つ…それは注ぎ口のキレです。先月の解説でも記しましたが、古唐津の片口は注ぎ口の厚いものが多いということに気をつけねばなりません。それらはお酒のキレが悪く、注ぐたびに垂れてしまい興を削がれます。ようやくサイズも佇まいも良い古唐津の片口に出会えたとしても、そんな「ダラリ系片口」では一大事…まずは試しに使ってみて、キレを確認したいものです。

 そんなプロセスを経て手元に来てくれた片口で興ずる独酌は古唐津好きにとってそれはそれは至福の時、なのではないでしょうか。

 それでは今回の絵唐津片口を見ていきます。

 砂岩を水簸(すいひ)し、生成したきめの細かい陶土をろくろ成形し、釉薬は陶土生成時に生じた上澄みに草木の灰を混ぜたもの。焼成具合も還元と酸化の間ぐらいでボディー2カ所の鉄絵は赤褐色に発色し、注ぎ口の両脇に擂座(るいざ)と呼ばれる装飾が施されています。見どころは何といっても力強い高台と鉄絵。高台それ自体に高さがあり、また強い削りは「これぞ古唐津!」の態を成しています。ボディーの草文は気取りのない筆致で好ましく、全体として器の気が強く、桃山時代の空気を今も発しているように感じられます。お酒もピッ、と気持ちよくキレてくれます。

絵唐津片口 草文部位

 いつものように焼成された窯は?ということになりますが、土味、釉薬、そして草文の筆致から伊万里市松浦町にある、松浦系阿房谷(あぼんたに)ではないか?と思われます。

阿房谷古窯 遠景

 同窯は隣接して2カ所に窯があったことが確認されており、草文を描いた絵唐津の良品が焼かれていました。初見のタイミングでは鉄絵の滲み具合から同じく松浦系の狼ヶ鞍(やまいんがくら)では?と思っていたのですが、大川野の師匠が類型陶片をお持ちでようやく合点がいった次第です。毎度のことですが皆さまにもこの片口が焼かれた窯についてご意見をうかがいたいところです。

阿房谷窯跡に散在する絵唐津草文陶片

 今回も秦秀雄さんについて触れました。「三城」のご主人、柳澤衣美(やなぎさわえみ)さんは秦さんと親しく交流されていたお方。そんな柳澤さんにお話しをうかがった際、秦さんの審美眼のすさまじさを語っておられたのが印象的でした。星岡茶寮のおける北大路魯山人との交流…いわば魯山人の目をも併せもった秦さんは三城さんで使用される器についてはもちろんのこと、食材、店の佇まい、給仕としての心積りや身づくろいにいたるまで細かくディレクションを施されたそうです。以来柳澤さんは秦さんの言を実行し、今もその教えを大切にされているそうです。

三城

 長野県松本市にある三城さんは柳澤さんの美学が隅々まで行き届いた、心地よい緊張感のあるすてきなお店です。供されるお蕎麦やお漬物、そしてお酒…それらに秦さんの思いが息づいていることを思い、訪問する度に感慨にふけってしまう自分がいます。

 ふとした勝見さんの一言に端を発し、それを辿りながら今回の本紙エッセイをしたためました。その過程で「秦さんが片口を酒器に見立て、定着させたんだな」と確信をもつことができ、その巨人っぷりを再確認したのです。

(テキスト・写真:村多正俊)

サカズキノ國
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