呼子の旧來司歯科医院

 呼子朝市通りを抜け中尾家屋敷から北に300メートルほど歩くと、小さな坂の上に昭和3(1928)年築の2階建て洋館・旧來司(くるじ)歯科医院があります。

 來司とは珍しい名ですが、元は伊予の来島(くるしま)を支配した豪族・来島一族で村上水軍の将の一人として毛利元就につき厳島で活躍。慶長5(1600)年以降は萩藩士となりました。来島(きじま)(木島)道隆は文化13(1816)年に次男として生まれ、少年時代、高野長英に心酔し医学研究を口実に蘭学を学びに長崎に赴きます。しかし、幕府に追われて平戸松浦家に匿(かくま)われ、加部島に逃れてきました。外科術の腕も良かったのでしょう。鯨組主・中尾甚六のけがを治し、住民に加部島に落ち着くようにと請われました。そこで名を來島から來司と改めました。後に道隆は唐津藩医・保利文亮に師事。秋月藩医・江藤養泰の元でも10年学びました。

 孫の道策の代には安政の大地震で倒壊した唐津藩邸の再建に30両献金。孫の謙吾の腕も市(いち)を成すほどでした。蛤御門の変で討死した長州藩の侍大将・来島(きじま)又兵衛が謙吾の又従兄弟(またいとこ)というのも水軍の末裔(まつえい)らしい勇猛な話です。

 上げ下げ窓の痕跡が残る2階の窓からは海が見えます。かつての受付窓口はそのまま。広い玄関と待合室は現在、コンセプトショップ「弐〇月(にじゅうづき)」として生かされています。來司家に残された家具の上に折々あしらわれる陶器や本、装身具や菓子。遠くから聴こえる音楽。彼方(かなた)からの来訪者を匿ってきた海風の館は今も静かに来訪者を待っているようです。

文・菊池典子

絵・菊池郁夫

(NPOからつヘリテージ機構)

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