多久茂矩が茂文に宛てた覚書(佐賀県重要文化財 多久家資料 多久市郷土資料館蔵 画像提供:東京大学史料編纂所)

 多久領三代領主多久茂矩(しげのり)は男子に恵まれず、佐賀藩二代藩主鍋島光茂の三男を養子としました。この子が四代領主多久茂文(1669~1711)で、多久に学問所と聖廟を設け、「文教の里」多久の礎を築きました。茂文は1686(貞享3)年、数え年で18歳のとき多久家を継ぎます。しかし龍造寺隆信の弟長信を祖とする多久家の家臣たちは、茂文に複雑な感情を抱き、無礼な振る舞いをすることもありました。

 そんな状況を憂い、茂矩が茂文に宛てた覚書が残っています。(意訳は筆者)

 「お前のためを思って周りの者たちが言うことは、気に食わなくてもちゃんと聞き、物を言いやすいようにすること。乗馬の訓練や、読書もしなくてはいけない。食事の時は行儀よくしなさい」

 一方で、茂文が12歳の時、お世話をする家臣たちに宛てて次のように記しています。

 「精魂込めてお世話をし、茂文に意見するときは、今後1~2年の間は前もって自分(茂矩)に相談してほしい。本人も分かっているだろうから、こまごま言わなくてもよいが、特別に大事なことは一命を捨てる覚悟で言いなさい」

 これらの資料から、茂矩が茂文を慈しんでいたことが分かります。茂文は1686(貞享3)年、数え年18歳のとき多久家を継ぎ、茂矩は1689(元禄2)年に亡くなるまで、政務を補佐し茂文を支えました。

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