鹿島錦の教室で指導に当たる樋口ヨシノさん=鹿島市の生涯学習センター・エイブル

鹿島錦の織り方を説明する樋口ヨシノさん(制作中の記録映像から)

 鹿島錦保存会代表で104歳にして現役の織り手である樋口ヨシノさん=佐賀県鹿島市=の証言に基づき、鹿島錦の歴史と現況をたどる記録映像を、佐賀大学が制作している。江戸末期から続く伝統を次世代へ継承する「鹿島アートプロジェクト」の一環で、6月中にも完成する。

 鹿島錦は、鹿島藩9代藩主鍋島直彝(なおのり)夫人の篤子(あつこ)(篤誠院、1799~1877年)が考案したとされる。1850年ごろに成立し、「組織(くみおり)」と呼ばれて歴代の藩主夫人が受け継いできた。

 樋口さんは台湾生まれ。戦時中、前夫を亡くして身を寄せた佐賀県で祐徳稲荷神社(鹿島市)に参拝した折、篤誠院が織った鹿島錦で仕立てた「筥迫(はこせこ)」(和装の装身具)に初めて出合った。鹿島錦保存会には、50歳だった1968年の立ちあげ当初から参加してきた。

 映像による記録保存は、佐賀大芸術地域デザイン学部の石井美恵准教授(染織品保存修復科学)が担当。樋口さんにインタビューを重ね、鹿島錦の成り立ちや、どのような経緯で引き継がれてきたかなどをまとめている。

 樋口さんは、14代夫人鍋島政子さん(1895~1987年)が「自分の代で終わりかも」と言いながら「鹿島錦を後世に残して」と託したエピソードなどを披露。自ら改良を重ねてきた織機を用いて経紙(たてがみ)を張って、へらで横糸を交差させていく手順を詳しく説明している。現在、会員40人が継承に努めていることにも触れている。

 石井准教授は「染織品の研究者として鹿島錦に心を打たれたが、まとまった文献が見当たらなかった」と指摘。自らも支援に参加した東日本大震災で多くの文化財が失われた教訓から「文化財は地域のよりどころ。記録がなければ、何も分からなくなる」と記録保存の意義を強調する。

 5月末には、暫定版が鹿島市で関係者らに公開された。記録映像の編集作業は、文化財のデジタルアーカイブを手掛ける企業「とっぺん」(佐賀市)が担っている。完成後の映像は地元の図書館で活用するほか、県立図書館や東京の専門機関などに分散させて保管する。ユーチューブでも公開する予定。(古賀史生)

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