佐賀市大和町のギタークラフトマン、合瀬潤一郎さん(48)がオーダーメードで作るギターは人気デュオ、スキマスイッチの大橋卓弥さんやシンガー・ソングライターで音楽プロデューサーのスガシカオさんが愛用する。

 超一流アーティストも気に入る“メード・イン・佐賀”のギターは、細い路地を進んだ住宅街の一角、車庫を改良した6畳ほどの小さな工房から生まれる。
 ギター製作のすべての工程を一人でこなす合瀬さんに、独立までの経緯やギターの魅力を尋ねた。

満点以上のものを

ギターに貼った養生をはがす合瀬さん

 子どもの頃から手先が器用で、物作りが好きだった。佐賀工高に進学し、発電所の建設・整備を行う会社に就職する。鉄を扱っていたが、次第に鉄粉の影響で食べ物の味がおかしく感じるようになった。人体への影響を考え、木工へ路線を変えた。
 「木で何が作れるだろう」-浮かんだのは“ギター”と“仏壇”だった。高校生の頃にギターを弾いた経験があり、次は作る側に回ろうとギターを選択した。東京にある専門学校に進み、ギター製作家への第1歩を踏み出す。卒業後、久留米市のギター製造会社に就職した。
 工場で働く内に、良い木材を見分ける感覚が養われた。木目や色のきれいさで判断するのではなく、見た目は悪くても、あくまで良い音を出す木材を選ぶことが質を高める。しかし工場は分業制。せっかく良い素材を使って一部を組み立てても、他の工程でランクの低い木材と一緒にされることもあった。
 「最初から最後まで自分で作りたい」-そんな気持ちが大きくなり、仕事とは別に年に2~3本、自宅の工房でギターを作るようになった。日本の工場で作られるギターを「90点ぐらいの高品質」と評価しつつ、平均点のものが量産されると指摘する。「工場で満点を取るようなギターは生まれにくい」と、自分の技だけで満点やその上をいくギターを目指した。
 独立から9年。ギターは3~5本を同時に製作し、完成までに3~4カ月を費やすが、合瀬さんは材料の発注から納品まで、すべての工程を一人でこなす。

 

世界に一つだけのギター

自宅の車庫を改良した工房。木材が変形しないように温度や湿度を一定に保っている

 工場の質を上回るギターが作りたかった。
 ギター製造会社を辞める前に自宅の車庫を改良して工房を作り、会社から帰った後や休日に自分のギター作りに没頭した。工場には製作に必要な道具や大がかりな機械がそろっている。しかし、自宅の工房にはない。ギターを作る以前に、ギターを作るための道具から手作りする必要があった。この経験が、工場にあるものを使うのが当たり前だった合瀬さんに新しい価値観を与える。
 手作りの工程がどんどん増え、道具も作業の順番も変化していった。工場では会社の系統の音がするギターしか作ることができなかったが、突然それとは異なる自分だけのギターができた。製作を続ける中で、“作り方”に重要性を見いだした。
 たとえ数百万円するビンテージギターと同じ材料を使っても、作り方次第で全然違うものになる。例えば、木材を接着する工程で、手で押さえるのか器具で圧力をかけるのか、木を削ってから接着するのか、その前に削るのか-無限にある製作過程での可能性は、自分で想像するしかない。

ギターに使用する木材を持つ合瀬さん。ギターの表には振動の伝達が速く音の響きが残らない針葉樹を使い、裏にはその逆の広葉樹を使う。

 オーダーメードで作るため、注文を受ける時は「どのようなギターにしたいか」、音のイメージを共有することも求められる。細かい指示を与えてくれるアーティストもいれば、「バシャーンという感じで」と抽象的に依頼されることもある。いずれにせよ、最初から自分の好みの音は言わない。「自分の意見に相手が引っ張られないように」。答え合わせをするように、相手から完成したギターの感想をもらって次に生かすこともある。
 自分の作ったギターを有名アーティストが使っているのを見ると、うれしさはもちろんだが不安にもなると言う。すべて手作りのため、演奏中に壊れでもしたら自分の責任になる。「弦が切れても自分のせいではないかと思う」と冗談交じりに笑いながら、作って終わりではない責任の重さをのぞかせた。

 

“ベフニック”と“別府二区”

合瀬さんがデザインしたロゴ

 ギターに製作者の名を付けることが多い中、“合瀬ギター”とするのに抵抗があった。「弾く人にとって誰が作ったかは関係ない」と、名前はない方がギター単体をまっとうに評価してもらえるのではないかと考えた。あくまでギターの質、音の良さで勝負したかった。
 名前を何にするか。ギター作りの発想の原点に思いをはせたとき、小学6年生までを過ごした多久市の“別府二区(べふにく)”が浮かんだ。テレビが数チャンネルしか映らないような地域で、子どもたちは年齢に関係なく集まって遊んだ。退屈をしないようにみんなが楽しめる遊びが必要で、それを考えるのが得意な年上の友達がいた。「船のプラモデルが一つしかなくても、それを川に浮かべてみんなで石を当てっこすればいい」-その「新しい工夫を」という発想が、今の自分の糧となっている。
 ギターの名は地名を取って“ベフニック”とした。造語なのでネットで検索しても自分のギターしか出てこない。正真正銘、世界で唯一のギターが誕生した。

 

信用という財産

店頭に飾られているベフニックギター。若手のイラストレーターにキャンバスとして提供したギター(右)も=佐賀市中央本町のまる屋

 ベフニックの知名度が上がるに連れ、一人で製作すると生産が追いつかなくなるのではと尋ねた。合瀬さんは「そこは頑張るしかない」と苦笑いしつつ「今は信用を第一に作りたい」と熱を込める。大量に作ることやお金をもうけることは二の次で、佐賀や九州だけでなく、全国の人がベフニックという名前を聞いただけで「良いギターだよね」と言ってもらえる信用を作りたい。
 その後は、「(どうなるか分からないが)小学生の息子が継いでくれて、100年後はもっと立派な会社になっているかもしれない」。
 ベフニックを起こした人間として“信用”という財産を築き、その先は次の世代に任せる。今はただ、ベフニックの良さが伝わってくれればそれで良い。結果をすぐには求めず、長い目で先を見据える。

“良く鳴る”ギターに

 「弾いた人が気持ちよくなる音」-良い音についての答えだ。
 “聴く”人ではなく、“弾く”人。「一流アーティストが弾けば誰が聴いても素晴らしい音になる」と冗談交じりに笑いながら、「聴き手にとっては同じ音でも、演奏者が50%の力で弾いているのに100%の音が引き出せるギターを」。弾いた人にしか分からない感覚で、「ベフニックは何か違う」と思われるような“良く鳴る”ギターを目指す。それで「おのずと演奏も良くなってくれれば」と願いを込める。

制作途中のギター。接着剤を付けて1週間寝かせることもある

 

クリエイターを目指すみなさんへ

 「まずは自分の得意なもの、できるものを見つけること」。合瀬さんは幼い頃、手先が器用なことを祖母から褒められたのがうれしくて工作が好きになった。社会に出てからも、金属は合わなかったが木工にはなじめた。ギターを弾くのは上手じゃなくても、作ることはできた。
 時に、自分のやりたいこととできることは違う。なりたいものから考えると、実現できないこともある。「自分の“得意”を突き詰めること」それがなりたい自分に変化することもあると振り返って話してくれた。

 

おおせ・じゅんいちろう(48)
 多久市出身。佐賀工高を卒業し、発電所の建設・整備を行う会社に就職。金属を扱っていたが、鉄粉が体質的に合わず2年ほどで退社。東京にある専門学校に進み、本格的にギター製作の道を志す。卒業後、久留米市のギター製造会社に16年間勤める。工場で働きながら年に2~3本ずつ自作のギターを作り続け、手応えをつかんで独立。2007年、佐賀市大和町に「ベフニック・ブレスワーク」を立ち上げ、今年で9年になる。今はとにかく「ベフニックが良いギターだと広まってくれれば」と、1本1本手作りしている。
 ベフニックギターを愛用するアーティストはスキマスイッチの大橋卓弥さんやスガシカオさん、カリスマ的ギターデュオ、山弦の佐橋佳幸さん、小倉博和さんら。独立後のプロモデル第1号はザ・ルースターズの花田裕之さんに贈っている。

 

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